中国の女性同性愛概観

女同性恋

女性同士の同性愛を中国語で「女同性恋」、略して「女同」という。

中国では男同のタチは「攻」でありネコは「受」であるが、女同の場合にはタチは「T」、ネコは「P」と表記されるのが「その世界」でのしきたりである。

かつての中国社会は事実上の一夫多妻制であり、後宮、尼寺、女道士の社会、男子禁制とされた養蚕業界など、女性だけの集団が数多く存在した。

つまり性的に成熟した女性が女性だけの世界に身を置く機会が多く、現代よりも女同が流行する必然性があったのだ。

中国における女同の最古の記録は、紀元前1世紀ころ、前漢の武帝の治世における陳皇后についての記述であるといわれている。

その記録にはおおよそ次のようなことが記されている。

陳皇后は武帝の寵愛を失うと女巫に男装させて夫婦のように暮らした。このことを知った武帝は激怒し、女巫を殺し皇后を廃した。

この一件の巻き添えになって殺されたものが三百人余りもいたというから、武帝が激怒した原因が陳皇后の女同であったとするのは無理がある。

女同が当時大罪とされていた媚道、すなわち一種の呪術に通じるものとみなされたことが、三百人もの人が誅殺された原因なのである。

魚玄機

9世紀晩唐の時代にも有名な女同がいた。唐代四大女詩人のひとりにして女道士でもあった魚玄機(ぎょげんき:844年から871年)は、采蘋(さいひん)という自分よりも若い女道士と恋愛関係にあったとされている。

魚玄機の詩は今でも有名であるが、その中でも絶唱と言われる「贈隣女」は、森鴎外の『魚玄機』などによると采蘋に贈られた詩ということになっている。

この詩の内容は男との別れを悲しむものである。

魚玄機は今日でいうバイセクシャル、中国でいう「双性恋」であり、男性との恋愛経験もあったのだ。

男との別れの歌を女性の恋人に贈る。そのこころは何か?

恐らく男と付き合うとこれほどつらい目に遭うのだから、女性との恋愛のほうがすばらしいと言いたかったのであろう。

詩を贈るなどと聞くと、それは精神的な関係であり、肉体関係を伴わないのではないかとも思われてくる。

では女同には体の関係はあったのだろうか?

双頭淫具

江蘇省に同里鎮という古い街がある。

この古鎮に中華性文化博物館がある。文字通り性文化に関する展示を行い、四千件の文物を収蔵しているという。

展示物の中には男性器を模した木製、金属製などの淫具がある。こうした淫具は必ずしも女同が用いたとは限らない。むしろ多くの場合は自慰のために使われたと見るべきだろう。

しかし展示されている無数の淫具の中には女同が用いたと考えるしかないものも存在する。

双頭淫具だ。

つまり一本の太い棒の両端が男性器の形をしている淫具が存在するのである。

こうした「物証」が存在する以上、かつての女同は単なる精神的な関係に留まらず、肉体関係を伴っていたことは明らかである。

双頭淫具

双頭淫具を一本の棒に見立てれば、その棒の中ほどには紐を通す穴がある。

どうやら双頭淫具の一方を膣に挿入したタチの女性が、この穴に通した紐で淫具が抜けないように固定したうえで、ネコの女性の性器に自らの膣から生えた淫具を挿入したようである。

磨鏡

女性同士の性交は想像するよりもかなり激しいものであったようだ。

かつて中国では女同を磨鏡と称した。文字通り鏡を磨くという意味であるが、これがなぜ女同を表すのか。

女性同士が性行為を行う様子を見ると、同じ構造の体がもつれあい、絡み合うために、あたかも女体が鏡を磨いているように見えるからだという。

つまり磨鏡は女性同士の性交を意味しており、それと同時に女同をも表していたのだ。

磨鏡が女同の代名詞であったことからみても、かつての中国では女同は肉体関係をもつことが当然視されていたと考えてよかろう。

Posted by YangShiCui

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