中国の男性同性愛概観

老児当

ここまで紹介してきた故事はどれも紀元前という恐ろしく古い時代の話である。

日本でいえば縄文時代あるいは弥生時代に相当する時代の話であるから、いかに古い時代から男同が行われていたかおわかりいただけるだろう。

男同はその後も絶えることはなく、皇帝の男色も記録に残されている。

沈徳符(しんとくふ:1578年から1642年)の『野獲編補遺』によれば、明代の皇帝武宗(1491年から1521年)は、宦官の中から美しい少年を選び、老児当と呼ばれる場所に集めて寵愛したそうだ。

このことから老児当は男同を意味する婉曲表現ともなったという。

武宗は老児当の美少年を寵愛しただけではなく、江彬(こうひん)という男も「同起臥」すなわち床を供にしたそうだ。

江彬は豹房と呼ばれる享楽施設に美女を集めて武宗に取り入り寵愛を得た。

その結果、武宗の義子とされ、軍権までも掌握したのである。

男同を行う武宗が豹房に美女を集めたことは奇とするに足りない。

なぜなら武宗は男色専門ではなくバイセクシュアル、中国語で双性恋だからである。

武宗に限らず歴代皇帝の男同は、ほとんどのケースが双性恋である。

もし仮に皇帝が完全な男同であれば、皇帝の至上命題である皇統存続が不可能になってしまう。

そうならないのは多くの皇帝が双性恋であったからに他ならない。

Posted by YangShiCui

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