中国の淫具:古代から現代まで

古代の淫具

かつて中国では女性の同性愛者が双頭淫具を用いていたことは紹介した。

双頭淫具

しかし中国人が用いた淫具は双頭淫具だけではない。

現在でも私たちは昔の中国でどのような淫具が用いられていたかを知ることができる。

なぜなら古い淫具の現物が博物館に保存されており、またさまざまな文献や小説の中にもしばしば淫具が登場するからである。

現在知られている最古の淫具は河北省満城県の満城漢墓から出土した品であると言われている。

満城漢墓は紀元前2世紀、前漢時代の景帝の子である劉勝の墓である。

劉勝は中山王に封ぜられ、諡号は靖王であることから、中国では通常「中山靖王」と呼ばれている。

中山靖王は中国では好色の王として知られており、50人もの子がいたというが、日本での知名度は高くはないだろう。

しかし満城漢墓は歴史教科書にも掲載されている金縷玉衣(きんるぎょくい)が初めて発見された墓であるといえば、あの「中身」が中山靖王であったかと思われるかたもいるにちがいない。

満城漢墓は王侯貴族の墓にしては珍しく未盗掘の墳墓であり、金縷玉衣の他にもさまざまな副葬品が発見された。

そうした出土品の中に多数の「偽陽具」が含まれていたのである。

どれも銅製で中空。亀頭にまで怒張した血管が掘り込まれており、根元には淫核を刺激するための突起がある。

紀元前に作られた品であるが、当時すでに完成度が高い淫具が存在し、王侯貴族に利用されていたのである。

満城漢墓の出土品に代表される男性器を模した形状の淫具は、後の中国艶史においても、たびたび姿を現すのである。

角先生

かつての中国では男性器の形を模した淫具は「角先生」と呼ばれていた。

角先生の素材は銅、銀、玉、陶器、磁器、象牙など実に様々であるが、鹿の角で作られることが多く、それゆえに「角」先生と呼ばれたようである。

宋代の出土品の中には巨大であるばかりではなく、精緻な彫刻を施したものもある。

もしかするとこれは実用品ではなくエロティックな美術工芸品として作られたのかもしれない。

あるいは女性に懲罰を加える性的な刑具であった可能性も否定できない。

あまりにも大きな淫具は自慰に適するとは思われないからだ。

明代には携帯用として牛などの動物の膀胱を縫い合わせて作られた偽陽具も登場した。

使用するときは空気を吹き込んで根元を縛ると男性器の形状になるのである。

同じような発想で長細い布の袋が用いられたこともあったようだ。

使用時には中に小麦粉などの粉を詰めるのである。

この頃には老婆が角先生を籠に入れて売り歩いていたとも言われている。

角先生はそれだけ普及していたというのである。

清代の北京には朱という姓の角先生作りの名人がいたそうだ。

この老人はすらりとした体格で美しい髭をたくわえ、東安門外で媚薬などを商っていた。

朱老人が作る角先生の評判を聞きつけた女性が、老いも若きも買いに訪れたそうだ。

大きさには大小さまざまあり、当然のことながら大きいものほど高価であった。

机の上の箱に代金を入れて待っていると、朱老人が黙って角先生を用意するので買い手はひとことも言葉を交わさずに角先生を購入することができたという。

朱老人は淫具を購入するときの心理的抵抗を極力少なくするために、言葉を交わさずに販売する方式を確立したのであろう。

女性にとっては特に利用しやすい方式である。

朱老人の店は現代の通信販売やインターネットショッピングと同じように、多くの顧客を集めていたに違いない。

Posted by YangShiCui

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