中国の血食文化

動物を屠る文化

中国は農耕文明の国というイメージがある。確かに中国人は古くから農業を営んできた。

しかし中国の食文化を眺めてみると、その根底には明らかな狩猟民族の性質がうかがえる。そのひとつが血食の伝統だ。

動物を屠るとき、鮮血が迸る。その血を無駄にせず食すのは、自らの手で動物の命を奪う者の発想であろう。

血は生命の象徴であり、神聖な液体である。古代の狩猟民たちはそれをやすやすと廃棄することはなかったのだ。

恐らく血食は単なる食事の延長線上の行為ではなかったはずだ。

野獣の生命エネルギーを承継する儀式のような行為だったに違いない。この発想は後に血を薬の一種とみなす思想につながる。

宋の時代には健康維持のために鹿の血を飲むことが流行していた。

現在でもヘビやスッポンの血を飲む習慣が残っているが、これも血の強壮作用を期待した民間療法の一種である。

血をそのまま飲むのは最もプリミティブな食し方である。これでは血食文化と呼ぶことはできないだろう。

ドイツで見られるBlutwurst(血のソーセージ)のような保存用の加工食品、沖縄のチーイリチーのような料理に応用されてこその血食文化である。

言うまでもなく中国の血食文化は豊富である。その一部を紹介しよう。

蒸猪血

血液を使った料理の中でも最もシンプルなものは蒸猪血だろう。中国語で「猪」はイノシシではなく豚を意味する。

これは新鮮な豚の血液を鍋に入れ、塩などの調味料を加え、大量のネギを散らしてから蒸すだけの簡単な料理である。

実際には蒸さずに鍋を火にかけて作られることも多い。

火が通ると鮮明な赤い色をしていた血液は茶色に変色する。そうなったら食べ頃である。

血液には鉄分から来る独特の風味があるので、その風味に負けないようにネギと香辛料を多めに使うことが多い。

鉄臭さは別の食材にはない特徴である。

これが苦手な人には受け入れがたいが、いったん好きになったら血を食べる以外に欲求を満たす手段はなくなる。

血旺

血旺 [xuè wàng]は血豆腐とも呼ばれる血液の加工品だ。通常は豚の血から作られるが、鴨や鶏の血が使われることもある。

血旺は新鮮な血液に塩を加えてから熱で固めて作る。そのまま食べるよりも鍋料理などの具材に使われることが多い。

血旺は中国では非常に一般的な食材である。一般家庭でもレストランでも大量に消費されている。

血旺にしかない歯に粘りつくような独特の食感が好まれるからかもしれない。

ところで「血豆腐」というと一般的には血液と塩だけで作られるシンプルな加工品を意味するが、本物の豆腐に血液を混ぜ、さらにひき肉などを加えて作る加工食品を血豆腐と呼ぶこともある。

このタイプの血豆腐は通常は「猪血丸子」と呼ばれることが多い。

作り方は以下の通りだ。

先ず豆腐に豚の血液を混ぜて赤いスライム状にする。これに挽肉、調味料、香辛料を加えて饅頭型に成型する。これを天日で乾燥させてから燻すように焼くと完成する。

猪血丸子は味も食感も血旺とは全く異なる。ブラッドソーセージに近い食品である。

血腸

中国のブラッドソーセージは血腸と呼ばれる。

血腸は腸の中に血液を封入し、茹でて固めて作られる。

血腸は実質的には腸の中で作られる血旺である。従って血液の味がストレートに保存されている。

遊牧民はそのまま食べることもあるようだが、通常は切り分けてから鍋料理の具材などに使われることが多い。

つまり調理の仕方も血旺と類似しているのだ。

糯米血腸と猪血糕

腸の中にモチ米と血液を混ぜたものを封入する方法もある。この場合は糯米血腸と呼ばれる。なお「糯米」はモチ米を意味する。

糯米血腸はもともとは納西族(ナシ族)の伝統食品であったが、現在では一般家庭でも作られる料理のひとつになっている。

米と血の組み合わせは他にもある。

台湾などで一般的な猪血糕(ちょけつこう)がその典型である。

猪血糕は米血または米血糕とも呼ばれる軽食である。

中国語の「糕」は沖縄の金楚糕(ちんすこう)の糕と同じく、通常は菓子に使われる字であるが、猪血糕は豚の血液に浸したモチ米を蒸した食品であり、主食の一種と考えることができる。

ただし一般的なイメージとしては、猪血糕は屋台などで手軽に買える軽食であり、食事として食される料理ではない。

付記

中国の血食文化はこれだけではない。

特に薬用の血液には多くのバリエーションがある。薬として飲まれる血液については別の機会に紹介しよう。