胎児から作る不妊薬「嬰児酒」の話

湖南省の占い師

これは北京に住むZという当時28歳の女性が体験した話である。

ある日Zはテレビで紹介された湖南省の武陵源に心を奪われた。

雄大な自然景観が気の滅入る毎日を過ごしていたZの心を包み込んだのである。

放送を見た次の週末に、Zは武陵源を訪れた。

しかし期待があまりにも大きかったせいでZは落胆した。確かに景観は素晴らしかったが、観光客が多すぎて幽玄の光景が台無しになっていた。

喧騒から離れたくなったZはホテルを取った張家界に戻り、ネットの口コミで高評価であった普光禅寺に向かった。

途中、細い路地を歩いていると、占い師から声を掛けられた。それは初老の女性であった。

Zは占いが特に好きというわけではなかったが、時間を持て余していたので、世間話でもするつもりで占い師の前に置かれた粗末な椅子に座った。

占い師の椅子の前には小さなテーブルがあり、その上に博物館で見たことがあるような古い鏡が置いてあった。

鏡の表面は黒くなっていた。何も映らないその鏡を見ながら、占い師は「別居中の夫とは縁がない」と話し始めた。

Zは愕然とした。なぜならZは3年前に結婚した夫と別居していたからだ。1年ほど前に夫が家を出たまま帰ってこなくなったのだ。現在は実家で暮らしているという噂を聞いていた。

すでに夫への未練はなくなっていた。離婚を切り出すべきかどうか思案中だったのだ。

占い師はさらにZには婚姻運がないと言い放った。通常なら腹を立てるところだが、Zは「そのとおりだ」と思った。

それよりもZが驚いたのは次の言葉だった。

占い師は今年中に病気を治さない限り2度と家庭を持つことはできないと言ったのだ。

中国では結婚したらその年には子供ができるのが一般的だ。しかしZは妊娠できなかった。検査の結果、PCO(多嚢胞性卵巣症候群)と診断された。

医師の説明によるとPCOには決定的な治療法がないというのだ。それでもいくつかの不妊治療を試してみた。しかし不妊治療は全て失敗した。

毎月繰り返される失敗の知らせ。そのたびに重く沈む気持ち。そうしたことの積み重ねが別居の原因なのだ。

つまり自分の病気のせいで夫は離れて行ったのだ。

それにしてもなぜ占い師は病気のことがわかったのだろうか?

奇妙な提案

占い師は自分の言葉に絶対の自信を持っているようだった。

Zが何も言わないうちに、病気を治すがあるが、買う気はないかと問いかけてきた。

占い師の言葉に間違いはなさそうだった。Zは値段を訊ねた。

薬は11000元だという。これは日本円に換算すれば20万円弱になる。

安い値段ではないが、今まで不妊治療に費やしてきた額に比べれば、法外な価格とは言えない。

Zが「買います」と答えると、占い師は紙切れの上に簡単な地図を描いてZに手渡した。そして今晩7時に代金を持ってここに来るようにと言った。

老鼠酒

Zは銀行で現金を引き出してから、地図に書かれた場所に向かった。路の途中から人家はまばらになった。

約束の場所には7時少し前に到着した。そこは町外れの寂しい一角だった。

占い師は7時ぴったりにやって来た。開口一番「カネは持って来たかい?」と言うので、Zは少し大げさにうなずいた。

「見せてみな」と言うのでバッグを開けて現金を見せると、占い師は帯封が付いている1万元の札束を残して、千元分の百元札を抜き取った。

11000元のうち1000元は占い師の手数料ということなのだろう。

占い師はすぐ目の前の建物に近づき、戸を叩いた。中から「何だ?」という声が帰って来ると、占い師は「老鼠酒を買いに来ました」と言った。

老鼠はネズミを意味する。Zはぞっとしたが、きっと合言葉のようなものだろうと考えなおした。

戸が開き、中から薄暗い明かりが漏れて来た。戸の向こうにはでっぷりと太った中年の男が立っていた。

Zは占い師の後に続いて部屋に入った。

ガラス瓶

奥の部屋に足を踏み入れた時、Zは立ちすくんでしまった。

そこには人間の嬰児を漬け込んだガラス瓶が並んでいたからだ。

Zは占い師に促されて帯封のついた札束を男に渡した。男は何も言わずに札束を受け取ると、無造作にポケットにねじ込んだ。

それから壁際の棚を開け、中から美しいガラスの容器と小さい「おたま」のような器具を取り出した。

そして嬰児を漬け込んだ瓶のふたを開け、中の液体を少しだけおたまですくい、ガラスの容器に移した。強いアルコール臭が漂って来た。

男はふたを閉じると別の瓶のふたを開け、同じ動作を繰り返した。

Zの目にはどれも同じように見えたが、それぞれの瓶には違いがあるらしく、ブレンドすることによって薬になるようであった。

Zはできあがった「薬」を一気に飲み干した。アルコールの焼けるような刺激がのどから胃に下りて行った。

その時Zは病気が治ることをほとんど期待していなかったそうだ。そういうことではなく、不妊という自分の運命に対する自虐的な気持ちに支配されていたのだ。

禍々しい酒を飲み干すことによって自分自身を痛めつける。

当時のZの精神はそのくらい病んでいたのだ。

付記

現在Zは再婚した夫との間に生まれた男児を育てているそうだ。

思いがけない妊娠が張家界で飲んだ秘薬の効果なのか、それとも単なる偶然であるか、Z自身にも判断のしようがないということである。