狗骨鎮の赤鬼虫

転院してきた医師

これは安徽省の小さな病院に勤務する内科医Zの体験談である。

中国の病院では主任医師と呼ばれるようになると、その分野の第一人者とみなされる。例えば外科の主任医師は日本の外科部長に相当するレベルの医師なのだ。

Z医師が内科の主任医師に就任した直後のことである。

Zの恩師であるL医師が転院してきた。L医師は末期の肺がんであった。余命は半年。このことはL自身にもわかっていた。

そのL医師がわざわざ希望してZが務めている小さな病院に転院してきたのだ。

Zが務めている病院には腫瘍科(がんの専門治療を行う部門)はなく、がん患者は内科が受け持っていた。

だからZ医師が恩師であるL医師の担当医となったのだ。どうやらL医師はそうなることを知っていて転院を希望したらしい。

医師の告白

LはZと再会した日に、二人だけで話したいと切り出した。

恩師の願いである。ZはLを自室に案内した。

肺がんの末期ではあったが、Lはしっかりとした足取りでZの部屋に移動した。

二人だけになったとき、Lは文革時代の古い話を始めた。

毛沢東は高等教育を受けた若者たちに、地方に行って農民たちからの「再教育」を受けるよう事実上強制した。

Lは雲南省西部の山岳地帯にある狗骨鎮という村に行くことになった。

比較的恵まれた環境で育ったLは、熱烈な毛沢東信者ではなかった。内心では農村に行きたくはなかったが、当時の状況下ではやむを得なかったのだ。

狗骨鎮は山深い村であった。隣村との往復にほぼ1日かかるくらいの孤立した土地だったという。

電気はなく、土地の言葉はわかりづらかった。