蟹先生の指
これは清朝末期の話である。
湖北省のある村に蟹先生と呼ばれる易者がいたそうだ。
この人の指先は蟹の爪のように尖っていたので蟹先生と呼ばれていた。残念ながら本名は伝わっていない。
蟹先生の奇妙な指は生まれつきのものではない。
蟹先生の指先がなぜ蟹の爪のようになったかについて話す前に、清の時代の食塩について説明しておこう。
塩梟
中国の歴代王朝は塩の専売制を実施していた。正式なルートで販売される食塩は非常に高価であった。
しかし食塩は海水を煮詰めれば誰でも作ることができる。タダ同然で作ることができる塩は非常に高く売れたのだ。
だから塩の密造と密売はどれだけ取り締まっても消え去ることはなかった。専売制が始まって以来、中国には常に塩を密造し、密売する犯罪者が存在した。こうした犯罪は通常は組織犯罪である。
塩の密造や密売を行う組織を塩梟(えんきょう)という。彼らが生産する食塩は私塩と呼ばれた。
清代の塩梟は非常に大きな犯罪集団であった。塩を大量に生産して運搬するには大勢の人員が必要だからだ。生産した食塩は船に満載して消費地に運搬されていた。
大量の私塩の運搬は大きな賭けであった。
運搬の途中で発覚すれば経済的に大きなダメージであるのはもちろんだが、逮捕された仲間の自供によって組織全体が危険にさらされる。
だから塩梟の頭目の中には運搬ルートを決めるときに縁起を担ぐ人が多かったそうだ。
吉と出た占い
あるとき蟹先生は塩梟の頭目に呼ばれて、頭目が思い描いていた運搬ルートの安全性を占うように依頼された。
それは長江を遡り、途中水路を通過して花馬湖に出るルートであった。長江も花馬湖も広大であるから、水上にいるうちは発覚する危険性は少ない。
途中の細い水路が最も危険である。頭目が選んだ水路は蟹先生の占いで「吉」と出た。
しかし塩を満載した船がその水路を通過中に押収されたのだ。よりによってその水路を官憲が警戒していたのだ。
当時の塩梟は遠方の仲間に情報を送るために鳩を使っていたそうだ。船が押収されたという知らせは、直ちに頭目に伝わった。
その日のうちに蟹先生の指は全て切り落とされたそうだ。命まで奪われなかったのは幸運だったというべきかもしれない。
外科手術
中国医学というと漢方薬と鍼が思い浮かぶが、実は後漢時代(25年から220年)にはすでに外科手術も行われていた。
当然清の時代には外科医が存在したのだ。
指を切られた蟹先生は地元で名医と評判の高い外科医の治療を受けた。
その外科医は、現代の外科医のように切断された指をつなぐことはできなかったが、それでも驚くべき手術を成功させたのだ。
先ず蟹先生の足を切開し、骨の一部を切り取って爪の形に整形した。そしてその骨を手の指の切断面に接続したのである。
それ以来、蟹先生の指は蟹の爪のようになったのだ。
蟹先生の実力
そもそも塩梟の頭目が蟹先生を呼んだのは、蟹先生が優れた占い師だったからだ。
しかし蟹先生の占いは外れてしまった。
これには占い全般に通じるそれなりの理由がある。
占いというものは占う時点での未来予想である。その時点での条件がその後も不変であれば、占い通りの結果になる。
しかし占った後に条件の変更が起きると、占いの結果とは異なる事態に至ることは少なくない。
ある事象を決定付ける条件が複雑で、かつ刻一刻と変化するようなことについては、占いがほとんど当たらないのは当然なのだ。
だから例えば占いで株価を予想することはほとんど無意味である。
蟹先生の場合は、自分が占うことにより運搬ルートが決定したのだが、その後に取り締まり側が「塩梟の運搬ルートが決定した」という状況の下で塩梟を検挙できるパトロール箇所を占ったため、思いがけない結果になってしまったのだ。
占いは未来を決定する術ではない。未来をコントロールするためには気の流れ、運気をコントロールしなければならないのだ。
中国人の多くは富を得るために占いを頼りにしない。
富の流入は運気と関連付けられている。その運気はコントロール可能であるから、中国人は運気を高めることに努力を集中するのである。