南京大学バラバラ殺人事件

中国十大凶悪殺人事件の筆頭

南京大学バラバラ殺人事件は中国十大凶悪殺人事件の筆頭に位置づけられる未解決事件である。

1996年1月19日の早朝。清掃作業員が南京の繁華街である華僑路で清掃作業を行っていた。

路上には降り止んだばかりの雪が残っていたそうだ。

清掃作業員が大鐧[jiǎn]銀巷まで来たとき、包装された肉が放置されているのを発見した(大鐧銀巷は、南京大学の南に位置する)。

清掃作業員はそれを豚肉だと考え、自宅に持ち帰って食べようと考えたそうだ。

これ自体が驚きであるが、1996年の中国では、まだ路上に放置された肉を食べるという発想があり得たのだろう。

自宅で包装を開いた清掃作業員は、思いがけないものを目撃することになった。

その肉には人間の指が3本混じっていたのだ。

清掃作業員の通報により捜索が開始された。

すると、小粉橋、南京大学天津路校門、体育館、漢口路病院などで次々に遺体の一部が発見された。

さらに別の場所で被害者の頭部と衣服が発見された。

前代未聞のバラバラ殺人事件が発生していたのだ。

犯人は遺体を加熱した後に2000片以上の肉塊に切り分けていたという。

失踪者

この発見の9日前からひとりの女性の行方がわからなくなっていた。

南京大学成人教育学院の1年生・刁愛青である。

刁は中国語で[diāo]日本語では「ちょう」と発音される。以下イニシャルでDと表記することにする。

なお、刁姓の人口は全人口の0.023%であるという統計がある。比較的珍しい姓ではあるが、中国で生活していれば、たまに耳にする姓である。

大学関係者の証言により、遺体の頭部はDのものであると断定された。

Dの交友範囲は狭かったそうだ。

顔見知りの犯行であるとすれば、犯人が検挙されるのは時間の問題であろうと思われていた。

しかしこの事件は何の手がかりもないまま迷宮入りしてしまったのだ。

黒ミサ事件

2008年6月19日。

インターネット掲示板に黑弥撒(黒ミサ)の名で「南京大学バラバラ殺人事件についての考察」と題する文章が掲載された。

その文章の中で黒ミサは、犯人の容貌、性格、犯行の手口、犯行動機、心理状態などを詳細に分析していた。

その一部は今でも記録されている。例えば犯人像は次のように分析されていた。

容貌は端正、性格は慎重で内向的。独身のひとり暮らしで高等教育を受けている。

南京大学の近辺に住んでいて音楽を好み、文学的な趣味がある可能性が高い。

医学に関する知識をもつ。

この文章は当初は注目を集めなかった。

翌6月20日。

很多的(たくさんだ)というIDで黒ミサの文章に対する数千文字のレスポンスが掲載された。

その文章の中で很多的は、黒ミサが事件に関わっていたことを強く示唆した。

その結果、風化しつつあった事件が再び注目される結果となった。

多くの人がふたりの文章を読み、掲示板に自分の意見を書き込んだ。南京大学バラバラ殺人事件は、まるで事件の直後のように人々の耳目を集めたのである。

しかしこの熱狂に水を差す事態が発生した。

文章が掲載されてからわずか1週間後の6月27日、この件に関する全ての文章がサイト運営者によって削除されたのだ。

サイト運営者の説明によると、文章の削除は公安当局の要求に応じた結果であった。しかし理由などの詳細は公表できないとの説明にとどまった。

黒ミサとは誰なのか?

黒ミサに関しては次のような様々な憶測が飛び交った。

黒ミサと很多的は同一人物である

黒ミサは軍の関係者だ

黒ミサは共産党幹部の子弟だ

そしてもちろん黒ミサこそが犯人であり、自分の犯行を誇示するために文章を掲載したとする意見もある。

このような憶測とは別に、公安は黒ミサに接触したとの報道もある。

その報道によると、黒ミサは南京出身、1982年生まれで、大学では法学を専攻し、現在は銀行で働いているとのことだ。

黒ミサの父親は警察官であり、事件が発生した南京出身ということもあり、純粋に事件に対する興味から、事件を分析する文章を掲載したと言うのだ。

もしこれが本当だとすると、誰も注目していなかった黒ミサの文章に、翌日さっそく長文のレスを返した很多的は何者だったのか?

本当に黒ミサは事件に関与していないのか?

黒ミサに関する謎もいまだに明らかになっていない。

遺体を切り刻み、多数の地点に遺棄した不気味な犯行。

通常なら目撃者がいても不思議はないはずのこの事件は、事実上、永遠に解明されない謎となっている。