切断されたボディーパーツ
この事件は映画「八仙飯店之人肉叉焼包(八仙飯店の人肉まんじゅう)」のモデルになった大量殺人事件である。
1985年8月8日。路環島のビーチに切断された人間の腕と脚が浮かび上がった。
通報を受けた警察は、4本の右脚、2本の左脚、2本の腕を回収した。
すでにかなり腐乱していたので識別は困難であったが、警察は少なくとも4人の死体の一部であると判断した。
警察が回収した時点で、ボディーパーツは海中で2日以上経過していたそうだ。
海水浴客は何人もの人がサメに襲われたと考えたようだ。
しかし警察の判断は違っていた。
切断面には刃物を使った形跡があり、意図的に指紋を破壊したらしき痕跡があったからだ。
その2日後、女性の左腕をくわえた野犬が発見された。3日後、警察は女性の右腕を発見した。さらに海水浴客が右脚1本を発見している。
マカオのどこかで大量殺人が行われていたのだ。
しかしこれと言った手がかりがないまま、この事件の捜査は停滞していた。
一通の手紙
事件から8カ月後の1986年4月。
マカオの警察と広州警察の外事課にZという人物からの手紙が届いた。その手紙の概要は次の通りであった。
兄はずっと以前にマカオに移住し、八仙飯店という店を開いています。
去年の8月から兄とも兄の家族とも連絡が取れなくなりました。
現在、兄の店も兄の不動産もHという人が引き継いでいるとのことです。
路環島のビーチで見つかった死体のニュースを聞いて、もしかすると兄の家族が殺されたのではないかと心配になりました。
兄の行方を捜査していただきたく、手紙を書きました。
手紙には音信不通となっている10名のリストも記されていた。
八仙飯店
八仙飯店は1960年代にマカオの黒沙環でZが開いた食堂である。
店を開いた当時のZは独身であったが、事件が起きた1985年の時点では、Zには妻と4人の娘と1人の息子がいた。
Zは商売熱心でまじめな男だったが、妻のCは異常なほどのギャンブル好きであったという。
友人と麻雀を打つだけではなく、カジノにも頻繁に出入りしていたようだ。
店の付近ではCの評判は良くなかったという。
警察に手紙を送った弟は、その時点では、Cが店を引き継いだHという男と共謀して兄を殺したのではないかと疑っていたようである。
深まる疑惑
捜査に行き詰まっていたマカオ警察にとって、手紙は重要な手がかりであった。
八仙飯店は捜査の重点対象となった。
警察はかろうじて採取できた被害者の指紋を八仙飯店の関係者の指紋と照合した。
死体の損傷が激しく、完全な指紋を採取することはできなかったが、非常に似ている指紋を探し当てることができた。
それは八仙飯店で働いていた60歳の女性の指紋であった。この女性はCの親戚である。
警察は指紋の照合と平行して関係者への聞き込みを行った。
八仙飯店に鳥肉を卸している業者の証言によると、1985年8月4日の午後に店を訪れたときはいつもと変わらなかったそうだ。
しかし翌5日の朝に商品を届けようとすると、店には「休業三天(三日休業します)」との張り紙があったそうだ。
その後、店に行くと見知らぬ男が応対に出て、一家は珠海(広東省南部の街)に引っ越したと告げられたという。
ビーチで死体の一部が発見されたのは1985年8月8日である。その直前に八仙飯店の関係者は姿を消していたのだ。
別の人物の証言によると、1985年8月5日に八仙飯店で働いていた60歳の女性(死体の指紋と一致するとみられる女性)の家に30歳くらいの男が訪ねて来たという。
その男は「八仙飯店の主人の娘が熱を出したので手伝いに来て欲しい」と言って女性を呼び出し、タクシーでどこかへ走り去ったというのだ。
それ以来、女性は行方不明になっていた。
拘束
確実に八仙飯店で何かが起きていた。
八仙飯店を引き継いだというHは警察の監視下に置かれた。
1986年9月28日の午後、マカオ警察は中国に出国しようとしたHの身柄を拘束した。
警察の調査により、Hは八仙飯店だけではなく、八仙飯店の主人Zの自宅をも処分していた。そしてHの息子はZの自家用車を利用していたのである。
どう考えてもHが八仙飯店の一家を殺害し、財産を奪ったとしか考えられない。
しかしHは全ての財産を買い取ったのだと主張した。
この証言は後にギャンブルの借金60万元のカタとして財産を受け取ったという内容に変わるが、あくまでも正当な取引によって手に入れたものだと主張したのである。
そして八仙飯店の一家は海外に移住したとうそぶいた。
しかしHの金庫の中から失踪した人たちの私物が発見され、Hは裁判にかけられることになった。
事件の真相
収監中にHが供述した内容は以下のとおりである。
事件のきっかけはギャンブルによる借金であった。
もともとHは八仙飯店の主人夫婦と面識があり、頻繁にカネを賭けて麻雀や沙蟹(Five Card Stud)を楽しんでいたそうだ。
近所の評判では夫のZはまじめで妻のCがギャンブル中毒ということになっていたが、実際には夫婦ともにギャンブルの虜になっていたようだ。
事件発生の前年、Hは八仙飯店内で主人夫婦とギャンブルをしたという。
その勝負でHは大勝し、八仙飯店内で主人Zは18万元の借金を作ってしまった。
その時の約束では1年以内に返済し、返済できないときは八仙飯店を譲ることになっていたそうだ。
ところがZは1元も返済しなかった。
事件の当日(1985年8月4日)、Hは閉店後の八仙飯店を訪ねて借金の返済を要求した。そしてもし返済しないなら、8月8日からは自分が雇った調理人がこの店を仕切ると申し渡した。
これに対してZは「借金の証拠でもあるのか」と言って、全ての要求を拒絶したという。
激高したHはビール瓶を割ってZの7歳の息子の首に押し当てた。そして「声を出すな」と命じたのである。
その場には家族と調理人を合わせて9人の関係者がいたが、誰も抵抗できなかった。
Hは9名に対してお互いに体を縛るように命じ、口を「おしぼり」で塞いだ。