違法薬物製造の神”製毒師”列伝

製毒師とは

中国では違法薬物を製造する犯罪者を製毒師という。

日本では犯罪集団のシノギとして違法薬物を製造する人はいるかもしれないが、個人的に製造して稼ごうと発想する人はほとんどいないだろう。

ところが中国では個人的に違法薬物の製造を始める人が少なくない。これは中国社会のひとつの特徴であろう。

中国の報道を見ていると実にさまざまな人が製毒師になっていることがわかる。ただし目的はほぼ共通している。いうまでもなく金銭が目的なのである。

実際にどんな人たちが違法薬物を製造しているのかいくつかの例を紹介しよう。

化学の天才

四川省徳陽の警察は不振な人物Xをマークしていた。

Xは定職についていないにもかかわらず、高級車を乗り回し、高額なショッピングを繰り返していた。

学歴は高校卒業。農家出身である。気になるのは一貫して化学の成績が優れていた点だ。言わば化学の天才なのである。

Xの自宅は水田に囲まれた一軒家であった。接近して捜査をするのは困難である。しかし根気強い捜査によって、Xには大勢の仲間がいることが判明した。

さらに四川省成都で麻黄素、つまりエフェドリンを購入している事実も明らかとなった。エフェドリンは覚せい剤の原料になる。

証拠をつかんだ警察がXの自宅に踏み込んだとき、家の中には鼻をつく異臭が漂っていたそうだ。

Xは自分自身でも販売組織を作り、さらに別の組織の「技術顧問」として技術を提供していた。逮捕された後の供述によれば、将来は製造からは足を洗い、技術を提供するだけで暮らしてゆくつもりだったという。

Xの将来設計は破綻している。大衆に薬物を販売していれば、いつかは摘発される。そうなれば仲間全員が一蓮托生となる。技術顧問プロパーになったとしても、決して安全ではないのだ。

化学馬鹿

同じく四川省でのケースである。

成都にまだ未成年のLという男がいた。Lは化学マニアであった。自らの知識で爆薬を作ったこともあるという。

ある日Lは俗に「アイス」と呼ばれる違法薬物の合成を試みた。結果は大成功であった。1回目の試行で高純度のアイスが出来上がったのである。

成功体験を自慢したくなったLはインターネットの交流サイトで自分の技術が優れていると吹聴したのである。中国には違法薬物を合成する人たちがネットで交流しているという現実があるのだ。

Lにしてみれば多くのネット民が用いる土方法(ダサいやり方)に比べると、自分の製造方法は効率がよく完成品の純度も高くなると書き込んだ。間もなくLは「その世界」では有名な製毒師になった。

ある日、ネット民のひとりであるZが「オレはもっと優れた技術を開発した」とチャットで話しかけてきた。Zは同じ四川省の綿竹に住んでいるという。Zの技術に興味をもったLはZと実際に会うことになった。

しかし綿竹まで出かけたLはがっかりした。Zの技術はまったく話にならない拙劣なものだったのだ。

しかしこれは罠だったのである。ZはLの技術を賞賛し、ある人物を紹介した。違法薬物販売組織の男である。これをきっかけにLは組織に取り込まれてしまう。そしてこの組織が警察に摘発されると同時にLも逮捕されてしまったのだ。

Lには夢があった。無害無毒の幻覚薬製造である。しかしこの夢はもはや果たされることはないだろう。

勤勉な製毒師

54歳のYは外出先で思いがけない人物と再開した。それは同郷人のSとLである。

SとLはずいぶん以前に仕事を求めて村を出ていた。農村では出稼ぎに出る人は珍しくない。むしろ一般的な現象だ。

村で商売をしていたYは出稼ぎに出る必要がなかったので、故郷の碧渓郷で暮していた。これは恵まれた境遇であると言ってよい。

SとLは「Zが成都から戻ってくるので空き部屋を探している」と口にした。Zも同郷の知人である。Yは別人から住宅の管理を任されていたので、その住宅を薦めたところ、すぐに話がまとまった。

次の日の夜11時ころ、S、L、Zは自家用車で碧渓郷に戻ってきた。

自家用車のトランクには実験器具のようなものがたくさん詰め込まれていた。3人はそれを住宅の2階に運び始めた。

荷物を運び終えたZは立ち会いに来たYに「誰か来たらすぐに知らせてくれ」と言って500元を支払った。500元は農村では大金である。

Yは1階で「見張り」を引き受けた。1時間ほどすると2階から鼻を突く異臭が漂ってきた。2階に上がって様子を見ると3人は薬品を使って何かをしていた。しかしその時点ではYは事の真相を理解できなかった。

Zは約束どおり500元を支払い、3人は次の日には成都に帰って行った。

その後しばらくしてからYはテレビで違法薬物に関する報道を目にした。このときになってようやくZたちが違法薬物を製造していたのではないかと思い至ったのだ。その後違法薬物についての本を何冊も読んだ結果、Yの疑いは確信に変わった。

次に3人が現れたとき、Yは自分も仲間に入れるよう願い出た。すると3人は資金提供を条件に申し出を承諾した。Yはその場で原料を調達する資金として5万元の「出資」を約束した。

4人はこの資金をモトにエフェドリンなどの材料を調達し、違法薬物を合成して販売した。

しかし結果は赤字であった。3人の技術は非常に稚拙で製造効率が悪かった、最終的な「製品」の量が少なすぎたのだ。

同じことを3回繰り返すうちに4人は資金を使い果たしてしまった。結局この4人組は解散することになった。

改良と拡大再生産

しかしYは抜け目なく次の手を考えていた。

自分ひとりでも製造ができるように製造の方法を観察してノートにまとめていたのだ。プロセスは7段階。その段階ごとに用いる薬物の比率や操作を克明に記録していた。さらに密売組織との連絡方法も聞きだしていた。これらは全て「独立」に向けた準備である。

ひとりになったYはさっそく自分自身で薬物の製造を始めた。ノートにまとめた製造方法には欠陥がある。このプロセスの弱点を独自の「学習」によって補った結果、製造効率が改善した。

Yは密売組織に連絡し自作の薬物を販売した。Yの計画は成功した。初回から投資額を上回る売り上げを確保したのだ。

Yはその利益を次の生産に投資し、徐々に生産量を増やしていった。勤勉な商人のように得られた利益を拡大再生産につぎ込んだのだ。

Yの生産量は爆発的に増加し、販売ルートも拡大した。密売組織よりも優位になったYは販売にインセンティブ制を導入して流通を促進した。

結末

全くの素人がわずか数年で「その世界」のキーパーソンになってしまった。

この過程を紹介するとあまりにも話が長くなるのでそろそろ結末をお伝えしよう。

闇の世界の人物にとって有名になることは大きなリスクでしかない。薬物事件摘発のたびにYの名が出るようになり、結局Yは当局に摘発されてしまったのだ。

Yが生産した違法薬物の量はあまりにも多く、刑法の文言にある「特別巨大」な生産を行ったと認定された。

特別巨大な数量の違法薬物製造には死刑の定めがある。

2012年、南充市中級人民法院はYに死刑判決を下した。

列伝は終わらない

ここで紹介した製毒師は中国で報道された製毒師のほんの一例である。

この他にも効率的な製造装置を開発した若者や、警察官に誘われて薬物製造を行った製毒師など、興味深い報道は尽きない。

中国ではその気になれば誰でも違法薬物を製造できるようだ。ただし「製品」の仕上がりや製造効率には大きな差があり、ある種のコミュニティーにおいては優れた技術を自慢し、また賞賛する雰囲気が存在するのだ。

このような状況がなくならない限り新たな製毒師が次々に生まれてくることは避けられないだろう。

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