秘密結社の秘薬と怪物的な長寿

驚異的な寿命の記録

中国では「死なない」人がいると信じられてきた。それが仙人である。

仙人は生まれつき仙人なのではなく、しかるべき修行をすれば誰でもなれるものと考えられている。

仙人になる方法はひとつではない。

例えば中国の歴代皇帝は丹薬(たんやく)と呼ばれる特別な薬を服用していた。丹薬を飲むだけで不老長寿が実現できると考えられていたのだ。

丹薬の他にも呼吸法や瞑想など様々な方法がある。また修行の「場」も重要視されていた。

中国には昔から道教の聖地とみなされて来た斎雲山、武当山、青城山、龍虎山などの修行場がある。

このような土地で修行することにより仙人になった道教修行者は少なくない。仙人になれないまでも、多くの道教修行者が驚異的な長寿に達しているのだ。

道教の修行者と並んで仙人になる潜在力を秘めているのが漢方医である。

そもそも漢方は仙人になる方法の探究から生まれた医術である。だから漢方の専門家に長寿の人が多いのは当然なのである。

李清雲

清朝以後の中国で長寿の漢方医の代表的人物といえば李清雲(りせいうん)である。

この人物は清の末期に四川省で生まれ、256歳まで生きたとされている。生涯に23人の妻を娶り、存命中にすでに子孫が180人以上もいたそうだ。

この驚異的な事実は蒋介石の時代にアメリカのニューヨーク・タイムスの記事にも取り上げられている。

李清雲は医師であり薬剤師であり薬の生産者でもあった。彼は薬草を採取して自分の所に来た患者に販売することで生計を立てていたのだ。

現在の医師は診察して処方箋を書くだけだが、当時の中国の医師は自分で薬を加工することもあり、さらには薬の採取までする場合もあったのだ。

李清雲の得意分野は眼科と骨傷科(現代の日本語では整形外科に相当する)であったそうだ。

長寿を支えた生活習慣と秘薬

李清雲はベジタリアンであり、酒も茶も飲まず、タバコも吸わなかった。

ただし少量のワインは飲んでいたようだ。李清雲自身がワインを健康の秘訣のひとつに挙げているからだ。

食事をする時間は規則的で、食べる量も一定していた。そして自ら考案した秘薬を常用していたという。

李清雲はその秘薬を百草長生方と呼んでいた。百草長生方は黒豆、芹菜、金銀花、山楂、緑茶、海藻、菊花などから作られていたと言われている。

また行動指針やあるべき精神状態についても独自の考えを持っていた。

晩年に養生の秘訣を訊ねられた李清雲は「静」のひと言で答えたそうだ。

疑惑の声

李清雲は清朝末期から中華民国の時代まで生存していたことになる。

200歳を超える寿命に対しては、中国国内でも疑問を持つ人は少なくない。そうした人たちの第1の疑問は次のようなものである。

清朝末期には出生記録があいまいであり、よほどの人物でない限り、年齢を証明する証拠は存在しない。李清雲の年齢は単なる「自称」に過ぎないのではないか?

これは一般論としては正しい批判である。

ただし李清雲に関しては、彼がまだ存命中の1930年に成都大学の教授によって出生証明が発見されている。その証明によると李清雲の出生年は1677年であった。

中国の大学は今も昔も国の機関であるといってよい。したがって李清雲の年齢については、公的な「お墨付き」が存在するのだ。

しかし事情通はさらなる疑問を呈している。

李清雲は四川の軍閥である楊森(1884年から1977年)の「養生顧問」をしていたことがある。

あるとき楊森が李清雲の話を蒋介石に伝えたところ、蒋介石は中国の偉大さを国外に示す好機と捉え、国外のマスコミに李清雲を紹介したというのだ。

当時アメリカと蒋介石は友好的な関係にあったため、蒋介石が紹介した李清雲の件をアメリカのマスコミがそのまま報道し、李清雲の長寿は事実として扱われるようになったのだ。

李清雲の長寿命を疑う人たちは、蒋介石の思惑が背景にある以上、出生証明やアメリカでの報道は信用できないというのだ。

つまり出生証明、李清雲自身の証言など驚異的な長寿に関する証拠の全ては、蒋介石がアメリカのマスコミへのサービスとして捏造したものだと言うのである。

否定説の背景

200歳を超える寿命はあり得ないという「常識」があるため、長寿の証拠は捏造されたという説を信じる人は少なくない。

しかし蒋介石がわざわざ証拠を捏造してまで長寿のニュースをでっちあげたというストーリーにも説得力がない。

当サイトが独自に入手した情報によると、実は「李清雲の驚異的な長寿はフェイクである」という情報を敢えて流している発信者がいるらしい。

情報提供者によると、それは百草長生方の秘密と関係があるという。

李清雲は百草長生方を飲むことによって長寿を達成した。この秘薬は李清雲が発明したとされているが、実はオリジナルの処方は巨大な秘密結社の中枢部だけに伝わる処方であったようだ。

哥老会

清の道光年間(1821年から1850年)ころから長江の流域に広く勢力を広げた哥老会[gē lǎo huì]という秘密結社がある。特に四川と重慶の哥老会は袍哥[páo gē]と呼ばれていた。

哥老会は鄭成功(ていせいこう:1624年から1662年)が創設したとの伝説があるが、実際には組織の起源や内部の人間関係などは謎に包まれている。

ただし全く情報がないわけではない。

哥老会の幹部は大爺[dà yé]または舵把子(船頭という意味)と呼ばれ、大爺の中にも龍頭大爺、座堂大爺、執法大爺、閑大爺などの区分があるという。大爺の下は二爺、その下は三爺と呼ばれるらしい。

百草長生方は大爺の中の最高峰である龍頭大爺だけに許される秘薬であったようだ。

もともと百草長生方は、その存在すらも秘密とされていた。それがどういうわけか李清雲の手に渡ったのだ。そして世間の耳目を引いてしまったのである。

200年以上も長生きできる秘薬の存在が明らかになれば、ありとあらゆる手段を使って秘薬を手に入れようとする組織や人物が現れかねない。場合によっては国家の介入すら危惧しなければならないのだ。

そこで「200年以上も長生きできるなどというのは嘘だ」という情報を組織力を使って流布している。

これが真相だというのだ。現在でも重慶の哥老会には驚異的な長寿の龍頭大爺が君臨しているという。