埋蔵金伝説
かつて日本には徳川の埋蔵金ブームが起きたことがある。
将軍家が隠した膨大な黄金が日本のどこかに眠っている。これは非常に夢のある話だ。
しかし残念ながら徳川埋蔵金は発見されていない。
埋蔵金などというものは幻影であって、そんなものは実際には存在しないという冷めた見方もあるだろう。
実は中国にもいくつかの埋蔵金伝説がある。中国でもそれはただの伝説に過ぎないと考える人が多かった。
しかし中国の埋蔵金伝説のひとつ「張献忠の埋蔵金」が実際に発見されたことから、埋蔵金伝説は単なる伝説ではないことが実証されたのである。
発見された埋蔵金の話の前に、日本ではあまり知られていない張献忠という人物について説明しておこう。
張献忠
張献忠(ちょうけんちゅう:1606年から1647年)は明朝末期に発生した農民反乱のリーダーである。
日本の世界史教育の中では明を滅ぼした李自成の乱が有名であるが、張献忠の反乱は李自成の乱と時期的に重なっている。
張献忠は四川省を支配し、大西国を建国したが、清との戦いに敗れて戦死している。
張献忠は中国史上「無目的に虐殺を行った唯一の暴君」と言われている。
明末期の四川省の人口はおよそ400万人いたと推計されているが、張献忠はそのうち300万人を殺戮したとされているのだ。
その動機が不可解であることから、中国には張献忠を変態(サディスト)と呼ぶ人もいる。
張献忠の殺戮によって、四川省の原住民は激減し、方言すらも消えてしまったとさえ言われている。
このような恐ろしい人物がかつて四川省を支配していたのだ。
埋蔵金伝説
中国では以前から張献忠が莫大な財宝をどこかに隠したという伝説が囁かれていた。
張献忠は生前、莫大な財宝を見せつけることによって権勢を誇示していた。ところが張献忠の死後、その財宝の行方がわからなくなっていた。
その財宝の行方については諸説あるが、清軍に追われた張献忠は莫大な財宝を船に積み、岷江(みんこう)のどこかへ沈めたという説が有力であった。
その候補地は四川省彭山江口鎮付近であるとされていた。
なぜなら江口鎮一帯では埋蔵金の所在を表すという次のような童謡が歌い継がれていたからだ。
石牛対石鼓
銀子万万五
有人識得破
買尽成都府
この童謡にはいくつかのバージョンがあるようだ。
埋蔵金の所在を示す童謡などと聞くと、ドラマか小説のような印象を受けるが、驚くべきことに正しく江口鎮に面した岷江の河底に莫大な財宝が眠っていたのである。
清の皇帝は、張献忠の財宝を探すために何度も岷江の河底を調べさせている。
それでも財宝が発見されなかったのは、調査した地点が適切ではなかったからだろう。
通報
2013年、四川省の公安に通報があった。
夜になると江口鎮に面した岷江に不審な船が出現するというのだ。
夜になって現地を調査すると、確かに数十隻の船が出ていた。
公安は不審船の存在を確認はしたが、そのときは犯罪の証拠をつかむことはできなかった。
しかし船の所有者を調査するうちに、別荘を購入したりBMWを購入している人物が複数存在することを突き止めた。
彼らが頻繁に骨董商と会っていることから、川底から骨董品を引き上げて販売しているとの疑いが強まった。
中国では埋蔵品は国家の財産とされており、勝手に販売することは犯罪とみなされる。
公安が彼らを検挙して取り調べると、河底から探し出した金印を800万元(日本円でおよそ1億3千万円)で販売していたことが判明した。
たったひとつの金印が800万元となると、国宝級の骨董品である可能性が高い。
公安は販路を辿って最終的な購入者にたどり着いた。それは国内の企業経営者であった。
その経営者は金印を1億元(日本円でおよそ16憶円)以上の値段で購入していた。
公安が専門家に鑑定を依頼したところ、その金印は張献忠の金印であることが判明したのである。
実在した財宝
金印が発見された岷江の河底からは金銀のインゴットが大量に発見されていた。
さらに金銀のアクセサリー、金貨、銀貨、銅貨なども持ち去られていた。
金貨の中には張献忠が発行した非常に珍しいものも含まれていた。
その金貨には後にオークションで1枚230万元(日本円でおよそ3700万円)の値段がついている。
政府は歴史的遺物を保護するために河の一部に堤防を作って水を抜き、大規模な発掘調査を行った。
河底からは大量の貴金属や装飾品が発見された。
それらは確かに張献忠が沈めた財宝だったのだ。
貴金属の価値だけでも相当なものだが、王の命令を刻んだ金の板などは中国の歴史上例を見ない珍しいものであり、値段のつけようがない国宝であるという。
したがって、発見された財宝の価値は、金銭では表すことができないそうだ。
政府が河底を調査した時の構造物は、今でもグーグルアースで確認することができる。
それを見ると調査された区域は江口鎮付近の岷江の一部だけである。
専門家の見解によれば、政府の発掘調査で回収されたのは、張献忠の財宝の一部分だけであるという。
岷江の河底には現在でも国宝級の財宝が大量に眠っているのである。