厚葬の伝統
中国には遺体を埋葬する際に高価な財宝を副葬する習慣があった。
一般的に副葬品の価値は社会的な地位に比例している。王侯貴族の陵墓ともなれば莫大な財宝が副葬されたのだ。
当サイトに来られる人なら「書聖」とまで言われる書道の神様・王義之(おうぎし:303年から361年)の名をご存じだろう。
王義之は4世紀の東晋の政治家であり書家である。楷書、行書、草書などあらゆる書体に通じた達人であり、後の全ての書家の目標となった人物だ。言うまでもなく王義之の作品は現在でも書家の手本とされている。
王義之は書家のあいだでだけ知られるレベルの人物ではない。王義之は中国の美術品愛好家にとっての神であり、王義之の作品は中国美術の精華とみなされている。
王義之の全ての作品は国宝級の価値をもち、それを所有することができたのは国家の支配者だけだと言ってよい。
中国の皇帝の中には王義之の信奉者は少なくない。
清の乾隆帝は王義之の『快雪時晴帖』を「神」と評価している。しかしこの作品の名は書に興味がない日本人には初耳だろう。
しかし『蘭亭序』は別格だ。
これこそ万人に知られる王義之の代表作である。書という美術の到達点。中国の至宝。それが『蘭亭序』なのである。
この作品には値段を付けようにも付けることができない無限の価値があると言われている。
その『蘭亭序』はいまどこにあるかご存じだろうか?
実は唐の太宗・李世民(りせいみん:598年から649年)の陵墓である昭陵に副葬されているのだ。
李世民は中国史上最も王義之を愛した皇帝と言われるほど王義之の書に惚れ込んでいた。死後も永遠に『蘭亭序』を所有するべく、副葬を命じたのである。
このエピソードひとつとっても中国の墓が宝物のタイムカプセルのような存在であることがおわかりいただけるだろう。中国の大地には想像を絶する規模の財宝が今でも静かに眠っているのだ。
盗墓賊
墓に財宝があることは中国の常識である。大きな墓には莫大な財宝があり、小さな墓にはその規模に応じた副葬品がある。
そこに財宝があるとわかっているのだから、治安が乱れれば掘り返されるのは必然である。
それだけではない。富の誘惑は極めて強烈だ。治安が乱れていない時代にも財宝を盗み出そうとする集団は後を絶たないのである。
盗掘は中国では紀元前の時代から現代にまで続く古典的な犯罪のひとつなのだ。
墓を荒らして財宝を盗む犯罪者を中国では盗墓賊という。
中国史上最も有名な盗墓賊の首領は乱世の奸雄・曹操(そうそう:155年から220年)だと言われている。曹操は軍資金を調達するために古い墓を暴いて財宝を奪ったと信じられているのだ。
曹操は「発丘中郎将」と「摸金校尉」という墓を暴くための専門の官吏を任命していたという。
このことから現在でも墓泥棒のことを「摸金校尉」と呼ぶことがある。この言葉は歴史もののドラマなどでよく使われているので、中国では常識と言ってよい。
早くも曹操の時代には古い墓はすでに盗掘に遭っていた。大規模は墓は曹操レベルの大物に暴かれ、小規模な墓は各地の盗賊に荒らされていたのだ。
だから中国ではほとんどの墓が盗掘に遭っていると言われている。考古学者が墓を発掘すると9割以上の確率で盗掘の被害に遭っているそうだ。
ところが現代の中国にもいまだに盗墓賊は存在する。盗墓賊が摘発されたというニュースは中国では珍しくない。
ほとんどの墓が盗掘されているとなると盗墓賊も「ハズレ」を引く可能性が高い。しかしそれでもよいのだ。すでに「先輩」に盗掘された墓も彼らにとっては価値があるのだ。
はるか昔に盗掘された墓には当時の感覚からすると無価値であった生活用品などが放置されている。そのような品物も現在では骨董的な価値が付くため、ひとつで日本円に換算して数千万円の値段がつくようなものも少なくない。
また盗掘された後の墓に非常に貴重で高価な宝が残されていることもあるようだ。「先輩」が全ての宝をひとつ残らず持ち去るとは限らないからである。
専門性
墓泥棒はこっそり墓を掘れば財宝が手に入るという程度の簡単な犯罪ではない。
そもそも古い墓がどこにあるか素人には見当もつかないからだ。どこに墓があるかを見極め短時間のうちに必要最小限の穴を掘って墓を暴く。これには高度の専門性が要求される。
特に地下深く眠る墓の位置を特定するには墓が作られた当時の習慣、思想に精通している必要がある。そのために必須なのは風水の知識だ。
墓は風水の世界では「陰宅」と呼ばれる。日本の風水は一般的に自宅やオフィスなど「生きている人間」が活動する空間を重視している。しかし中国の風水は死者の住まいである「陰宅」を極めて重要視しているのだ。
古い墓は必ず風水的な「宝地」に作られる。
だから風水の知識が必要なのだ。風水理論に基づいて「宝地」を特定し、そこでボーリングを行い墓を探すのである。このボーリーング作業にはつい最近まで洛陽鏟(らくようさん)と呼ばれる特殊な道具が使われてきた。
洛陽鏟を使うと土を円柱状に掘り出すことができる。掘り出した土の状況から地下に墓があるかどうかを判定するのだ。
また土の味からも重要な情報が得られるという説もある。
盗墓賊に必要なのは風水の知識だけではない。
それぞれの時代によって墓の構造は違う。墓が作られた時代によって破壊しやすい地点が異なるのだ。
また古い墓には盗掘防止の仕掛けがある。例えばダミーの墓室があったり、壁を破壊するとその衝撃で通路が埋まるような構造があるという。
専業の盗墓賊は考古学者の論文や学術書を読み込むことで墓の構造や盗掘防止の仕掛けを熟知しているのだ。
一般的には得意分野がある程度決まっているらしい。漢代の墓を専門に狙う盗墓賊もいれば、比較的時代が新しい明代の墓だけを狙う盗墓賊もいるそうだ。
言うまでもなく古い墓ほど深く掘る必要があるので難易度は高い。数メートもの地下に潜るのは非常に危険である。しかし古いものほど高い値段がつくのも確かである。盗墓賊は文字通りハイリスク・ハイリターンの犯罪なのだ。
高い代償
盗墓賊には高度な知識が必要だ。しかし素人が手を出すことも少なくない。そのような場合には思わぬ結末が待っていることもある。その一例を紹介しよう。
2015年9月。河南省洛陽の西にある韓城鎮城角村で事故が起きた。5名の村びとが盗掘中に次々と倒れたのである。
無事だったひとりが仲間に電話をかけて助けを求めた。しかし救出のために人々が駆けつけたときにはすでに3名が死亡していたのだ。
無事だった墓泥棒のひとりはその場で逮捕され、もうひとりは逃走した。しかし逃走した男も後日自首している。騒ぎが大きくなり逃げ切ることは不可能と観念したらしい。
死亡した3名の死因は窒息であった。墓の中の酸素が欠乏していたのである。
専業の盗墓賊はロウソクの火などで酸素の有無を確かめながら奥に進むそうだ。地下空間で酸素が欠乏していることは珍しくないのだ。
しかし墓に侵入した5名は素人の集まりだった。酸素欠乏の可能性すら考えていなかったのだろう。何が起きたのかもわからないうちに絶命した可能性が高いのだ。
そもそも素人の墓泥棒は盗品の価値を判定できない。高価な出土品を中間業者に買い叩かれて大した利益は得られないという。
そのような犯罪のために命を落としてしまったのだから、犯罪の代償はあまりにも大きかったと言わざるをえない。