鬼門十三鍼という鍼の奥義

秘鍼

鍼灸は実に長い歴史をもつ医療テクノロジーである。それだけに鍼灸にはさまざまな秘術や流派というものがある。

そうした中に鬼門十三鍼という秘術がある。

秘術といっても現在の中国では鬼門十三鍼という言葉は広く知られている。ただし実際に鬼門十三鍼を使う鍼灸医は少ない。

かつての中国では、ある種の精神病は特別な扱いを受けていた。なぜならそれは単なる病気ではなく、鬼神が憑りついたために発症する邪病とみなされていたからだ。

このような特別な病気を治すには特別な医療技術が必要となる。そのなかのひとつが鬼門十三鍼なのである。

鬼の穴位

鬼門十三鍼の名称は鬼封、鬼宮、鬼窟、鬼垒、鬼路、鬼市、鬼堂、鬼枕、鬼心、鬼腿、鬼信、鬼、鬼藏、鬼臣と呼ばれる13の穴位(いわゆるツボ)を用いて治療することから名づけられたという。

鬼門十三鍼の歴史は古く、誰が発明したかについてはふたつの説がある。

ひとつは唐代の医者であり道士である孫思邈(そんしばく:541年から 682年)が発明したとする説である。

孫思邈は薬王の別名をもつ漢方界の巨星である。しかし鍼灸と漢方は同根の医療技術であるため、孫思邈が鍼灸の達人であったとしても何ら不思議はない。

もうひとつの説は、道教の聖人である張天師発明説である。張天師は後漢時代の五斗米道の創始者であり、さまざまな仙術を使ったとの伝説が残されている。

やはり鬼門十三鍼の発明者にふさわしい謎めいた人物なのである。

鬼門十三鍼の危険性

鬼門十三鍼は単純な医療技術ではない。医療技術であると同時に呪術的な作用をもつ不思議な鍼術なのだ。

鬼門十三鍼を使う鍼師は時として鬼神と対峙することになる。

清の時代の北京に賀という名の鍼師がいた。賀の家系は代々鬼門十三鍼を使う鍼師の家系であった。

賀はあるとき28歳になる女性の治療を依頼された。

この女性は極度に精神を病んでいた。屋根に上って月を眺めたり、ニワトリを生きたまま食いち切ったり、全裸で屋外に躍り出るなどの奇行を繰り返していた。いったん暴れ出すと男の力でも制止できなかったという。

賀は家伝の鬼門十三鍼を用いてその女性を治療した。最後の鍼を打とうとしたとき女性は突然大声をあげた。

お前を決して許さぬ。お前の子孫を全て気違いにしてやる。

賀は気にせずに最後の鍼を打った。その直後に女性の病は完全に治癒した。

その当時、賀の妻は妊娠していた。しばらくして生まれた男児は精神に障害をもっていた。賀の治療によってもその障害を取り除くことはできなかった。

2年後にもうひとりの子が生まれた。またしても精神に障害を持って生れて来たのだ。やはり賀の治療ではその障害を取り除くことはできなかった。

鬼神の憑依による病を治療する鍼師は、時としてこのような危険を冒すことになると言われている。

現代の鬼門十三鍼

現代の中国にも鬼門十三鍼を使う鍼灸医は存在する。

そのような鍼灸医のもとには不思議な患者が集まってくる。多くの場合、そうした患者は現在の言葉で精神病に相当する病気を患っているのだが、ごく稀に鬼神の存在を疑わせる患者が訪れることもあるという。その一例を紹介しよう。

ある鍼灸医のもとに目がうつろで絶えずひとりごとを話している患者がやってきた。

この鍼灸医は鬼門十三鍼を得意とするので、こうした症状の治療に長けているとの評判が高く、家族が患者を連れてきたのである。

この患者は近所でも評判の大酒呑みであったというから「酒の飲みすぎであろう」とたかをくくっていたが、どうも様子がおかしい。

鍼灸医が患者に「お前は誰だ?」と訊ねると、患者は清の時代のある貴族の名前を告げたうえで「この世の者があの世のことに手出しをするな」と言った。

治療

鍼灸医は患者に鍼を打ち始めた。

鬼門十三鍼は常に13ヶ所に鍼を打つわけではない。13ヶ所の穴位(ツボ)から適切な穴を選んで打つのである。

しかしこのとき鍼灸医は13ヶ所全てに鍼を打ち込んだという。

助手が「なぜ13ヶ所全てに打ったのですか?」と訊ねると、13番目の穴は死穴であるから普段は絶対に打ってはならないが、今回の患者は悪鬼に取り憑かれているから、駆鬼のために打ったと答えた。

数日後、患者は完全に回復したそうだ。

特殊事情

精神病の治療をしていれば患者が鬼や霊の言葉を口にすることは珍しくはない。

しかしこの患者の場合は事情が複雑であった。その患者が診療に訪れる前に次のような出来事があったというのだ。

患者はある晩、家に戻らなかった。早朝に帰ってきたので家族が「何をしていた?」と訊ねると、墓で一晩中酒を飲んでいたというのだ。しかもひとりで飲んでいたのではなく、誰かと一緒に飲み明かしていたというのだ。

不思議に思った家族が墓に行くと、そこには確かに酒のビンが数本ころがっていた。墓の周囲の草は荒れていて、何人かで飲んでいた様子が明らかであった。

驚くべきことにその墓の主は「お前は誰だ?」と問われて名乗った清の時代の貴族であったという。

Posted by 編集長 妙佛大爺

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