鬼仙を降ろす仙娘の話

低レベルの仙人

仙人にはレベルの違いがあるとされている。

現在の中国では『鐘呂伝道集』に示された「天仙、神仙、地仙、人仙、鬼仙」の5段階に分類することが多い。

左に行くほどレベルが高く、鬼仙が最も低レベルである。

鬼仙は輪廻から解脱をしてはいるが、修行が足りないため、仙境に行くことはできない。

中国で「鬼」と呼ばれる霊的存在の一部は鬼仙なのである。

鬼には「悪」のイメージがあるが、鬼仙の場合は必ずしも悪い存在ではない。一応の修練を行った人が鬼仙になるからだ。

憑依現象

鬼仙は人に憑依することがある。

鬼仙が憑依すると体が冷たくなり、鬼仙が人間であったときの特徴が現れるという。

例えば生前に怪我をしていた場合には、その怪我の位置と同じ所に痛みを感じるのである。

不思議なのはこれだけではない。鬼仙が憑依すると、霊的な世界が見えるようになるのだ。

不幸が続いたり慢性的な病気が治らないときには、あえて鬼仙を憑依させて霊的な因果関係を究明することがある。

もちろんそのためには鬼仙を「降ろす」ための法術を心得た道士を呼ばなければならない。

現在の中国にはそのような霊的な能力をもつ道士が少なくない。

特に農村部では、ひとつの村に最低でもひとりは特殊能力をもつ道士あるいは仙娘が存在すると言われている。

また定住せずに各地を移動しながら霊的な「事件処理」を行う専門家も存在する。

憑依現象を利用して霊的な事件を処理する人たちは、鬼仙を降ろす術を心得ていることが多いのだ。

文革と移住

現在北京に住んでいるLは、文化大革命時代に河北省南部の村に移住したことがある。

当時の中国では上山下郷運動(じょうさんかきょううんどう)で、都市部の若者たちは湖南省や雲南省の農村に移住させられていた。

Lの父親には共産党幹部との太いコネがあった。そのコネを使って、遠方の湖南省や雲南省に飛ばされる前に、比較的条件がよい河北省の農村に移住したのだ。

その村は大半が山林に覆われていたが、その山では高く売れる漢方薬が採れるため、昔から豊かな村として知られていたそうだ。

だから現地では「金持ち」を意味する「朱門」を冠して、その村を朱門村と呼んでいた。

Lは特別なコネを利用して移住したので、辛い農作業を強要されることはなかった。朱門村での生活は、北京の暮らしと比べると不便なことが多かったが、良い印象しか残っていないそうだ。

七八隊

そのころの農村では国家による治安維持が十分に機能していなかった。

自分で自分を守らなくてはならない地域では、自然発生的に自警団のような組織ができあがっていたそうだ。

当時は食糧難の時代であったから、農作物を狙った窃盗を警戒する必要があったのだ。

朱門村にも七八隊という名の自警組織があった。発足したときのメンバーが56人だったことから七八隊と呼ばれるようになったそうだ。

Lが世話になっていた農家の長男は、七八隊の隊長を務めていた。

粗暴で横柄な男であったが、開放的な性格であったから、Lとしては付き合いやすかったそうだ。

 

Lは隊長から牧歌的な農村のイメージとは異なる真実の数々を聞かされたという。当時の農村には食料をめぐる流血の攻防が人知れず展開されていたのだ。

殺人事件

Lが移住して半年ほど経過したころ、大きな事件が発生した。20歳になったばかりの村の女性が殺されたのである。評判の美人であったから、Lもその女性のことは知っていた。

遺体を発見した村人は、警察ではなく真っ先に七八隊の隊長を呼んだ。

現場に駆け付けた隊長は、何者かが強姦目的で女性を襲い、騒がれたので殺したのだろうと結論付けた。

隊長と共に現場に駆け付けたLは、このときに不安を感じたという。確かに遺体の着衣に乱れはあったが、物取りとの争いの跡のようにも見えたからだ。

ひと目見ただけで事件の性質を断定してしまうのは危険だと思ったが、よそ者であるLが口を差しはさむべきではないことくらいは承知していた。

女性の遺体を実家に運ぶように指示した隊長は、思いがけない行動に出た。

現場から歩いて5分くらいの所に住んでいる仙娘の家を訪ねたのだ。七八隊の隊員だけでなく大勢の村人たちが同行した。

仙娘は女性の呪術師を意味する言葉だ。「娘」という字を使うが、若い女性とは限らない。老婆でも仙娘と呼ばれることがある。朱門村の仙娘も初老の女性だった。

隊長は仙娘に女性が殺されたことを伝え、犯人が誰か鬼仙に訊ねて欲しいと依頼した。すると仙娘は隊長の体に鬼仙を降ろすと宣言した。

この成り行きを予期していたようだ。隊長は躊躇なく仙娘の目の前に座った。

仙娘は隊長の額に指先を当てて小さな声で呪文を唱え始めた。

しばらくすると隊長は低い声である人物の名を口にした。

それを聞いた村人たちがどよめいた。Lは後になって知ったのだが、それは殺された女性の兄の名だったのだ。

そこから先はLは直接目撃してはいない。

その日のうちに被害者の兄は七八隊に連れ去られ、山中で殺されたそうだ。

付記

後にLは北京に戻った。その後、中国は大きく変貌した。

Lは朱門村のことをほとんど忘れかけていたが、たまたま漢方薬に関係するビジネスに携わることになり、朱門村を再訪したのである。

村の様子は大きく変わっていた。村人に七八隊の話をすると、意外な返事が返って来た。

七八隊の隊長はかなり以前に殺されたというのだ。しかも仙娘の自宅で仙娘と一緒に殺されていたという。

昔の事件なので犯人がだれかわからないまま迷宮入りしてしまったそうだ。

だが、村には次のような噂が囁かれているという。

そもそも最初に殺された女性と七八隊の隊長には特殊な因縁があった。女性は隊長からの結婚の申し込みを断っていたのだ。

兄の反対が理由ということになっていたが、実際には隊長の粗暴な性格が嫌われていたらしい。

しかし隊長は兄のせいで結婚を断られたと思い込み、兄に恨みを抱いていたそうだ。

文革の混乱期には七八隊に睨まれることを恐れて誰も知らぬふりをしていたが、女性を殺したのは隊長であり、その罪を仙娘と共謀して兄になすり付けたと考えていた人は多かったようだ。

隊長と仙娘が殺されたのは、何者かによる復讐であろう。村ではそれが一致した結論になっていたそうだ。

では誰が復習したのか?

殺された兄と妹の親類は、かなり以前に朱門村から離村していた。兄が妹を強姦しようとしたと言われたせいで、親類たちは村で生活しづらくなったからだ。

殺された兄の怨念が隊長に憑依し、妹の怨念が仙娘に憑依し、互いに殺し合ったのではないか。

朱門村では多くの人がそう考えているという。