実在する仙人
日本では仙人は架空の存在だと考えている人が多い。
仙人は部分的に霊的な性質を持つ存在なのだが、日本では霊的な存在を信じない人が多いからだ。
しかし中国には仙人についての記録があまりにも多い。
邪馬台国についての記録よりも、仙人についての記録の方が何百倍も多いのだ。
邪馬台国が実在したことを疑う人はいないだろう。それと同じように仙人が実在することは確実なのだ。
仙人自体は珍しくないが、レベルが高い仙人は珍しい。そのことを説明する前に仙人のレベルとは何かを説明しよう。
仙人のレベル
日本では仙人は空中を浮遊する超能力を持ち、不老不死であり、仙界で優雅に暮らす白い髭の老人というイメージをもつ人が多い。
しかしそれはレベルの高い仙人であり、実際には仙界に行くことができない仙人もたくさんいるのだ。
仙人のレベルについてはいくつかの分類法がある。
道術の大家である葛洪(かつこう:283年から343年)の『抱朴子』によれば、仙人には天仙、地仙、屍解仙の3種類がある。
天仙は最高レベルの仙人であり、現世の肉体のまま仙界に行くことができる。
地仙は道教の聖地である山岳地帯に住む仙人である。レベルとしては中級とされている。
これらの仙人とは異なり、いったん死んでから仙人として復活する仙人を屍解仙(しかいせん)という。
屍解仙
葛洪によれば、屍解仙は一番レベルが低い仙人である。
言い方を変えれば天仙、地仙と比べると屍解仙になるほうが難易度が低いということになる。
葛洪の見解を裏付けるかのように、中国には屍解仙についての記録が大量に残されている。
そうした記録には共通点がある。
死後、遺体が消失するのだ。
単に遺体が消失する場合もあるが、多くの場合は遺体の代わりに何らかの物品が残されている。
例えば前漢の武帝(B.C.156年からB.C.前87年)が、埋葬された李少君(りしょうくん:生没年不詳)の墓を検めたところ、遺体は消失し、冠衣だけが残されていたという。

この他にも刀や剣が残されているケースや杖が残されているケースも記録されている。
道教理論によると、どのような物品が残されたかによって仙人としての格が異なる。刀や剣が残されている場合が最も格が高い。
また死亡した時間による格付けもある。日中に死亡して屍解するほうが夜間に死亡して屍解するよりも格が上であるとされている。
ただしその屍解仙の中での序列を論じたろころで、それは所詮低レベルの微差に過ぎない。屍解仙の上には天仙、地仙が存在するからだ。
下には下がいる
古い書物に記録された屍解仙は、それなりの人物であるから記録に残されたと言ってよい。
仙人の中で屍解仙のレベルが最低だとは言っても、そのレベルに達するには、それ相応の修行なり修練なりが必要なのだ。
仙人を目指すのは歴史に名を残すレベルの人たちだけではない。
そして書物に記録されるレベルに達していない人でも屍解仙になることはできるのだ。
現代中国にもそのような実例がある。
これは四川省の道教聖地である鶴鳴山(かくめいざん)に近い山村での話である。

80歳を目前にした農家の老人が亡くなった。この人は若い頃から見よう見真似の道術修行を行っていた。
通常、道術修行を始めるには、師となる道士に弟子入りする必要がある。しかし経済的な余裕がない人が我流の修行をすることも珍しくはないのだ。
中国の農村では遺体をすぐには埋葬しない。死後数日間は家の中に棺ごと安置する古い習慣が守られているのだ。
死後7日目の昼のことである。
見たこともない巨大な蛾が飛んできて、棺の上にとまったそうだ。蛾の翅の紋様は人の顔のように見えたという。
棺の前に家族が集まったが、あまりにも不気味だったので、誰もその蛾を追い払うことはできなかった。
1時間ほど経過したときに棺の中から物音が聞こえた。それからしばらくして蛾はゆっくりと飛び去ったのである。
家族が棺を開けると、そこには皮だけになった遺体が横たわっていた。
屍解仙は遺体を残さない。棺の中に遺体が残っている以上、老人の長年の目標であった成仙(仙人になること)は失敗に終わったのだ。
これが常識的な解釈である。
しかし遺体を埋葬してから1月後に老人の元気な姿が鶴鳴山の山中で目撃されたそうだ。
老人の仙術修行は不完全なものであったから、この世に自分の遺体を残してしまったのだが、それでも屍解仙になる目標を達成することができたのである。
高みを目指さなければ仙人になること自体は万人に可能であると言われている。