死後の世界
人は死ぬとどこに行くのか?
無になるという説もあるが、実は死後の世界は確実に存在する。なぜなら臨死体験者の証言があるからだ。
臨死体験は医学が発達した現代だからこそ存在すると言われることがある。しかし実際には臨死体験は人類史のあらゆるステージで普遍的な現象であった。
地球上には何億人という人が生活している。それだけの人がいる以上、いったん死にかけた人が生き返る現象は毎年のように起きているのだ。
死後の世界の様子が語られるのは臨死体験者たちの体験談があるからだ。
奇妙な共通性
もしも臨死体験者の証言がひとりひとり違ったものであれば、死後の世界についての定説は生まれなかっただろう。
しかし臨死体験者の証言には不思議なほどに共通性がある。
よく知られているのは光のトンネルだ。死の直後、我々の魂は光に満ちたトンネルのビジョンを見るという。
また広大な花畑のビジョンや大きな川のビジョンも普遍的な死後の世界の風景である。縁もゆかりもない人たちが口を揃えてこのような体験を語っているのだ。これはもはや偶然ではない。
人は死の直後にトンネルのような境界を抜けて、花畑のような土地を通過してから大きな川の岸に到達するのである。
このアウトラインは中国の伝説の中にも踏襲されている。
鬼門関
中国で語られている死後の世界には、まず始めに鬼門関という関所のようなものが現れるとされている。
人の魂は「この世」と「あの世」の境界である鬼門関を通過すると言われているのだ。
鬼門関を文字通りの関所と考えるのは不適切である。鬼門関は多くの臨死体験者が語る光に満ちたトンネルであると考えるべきであろう。
そのような神秘的なビジョンを中国人は鬼門関と呼んだのだ。
中国の伝説によると鬼門関を通過するには通行証である「路引」が必要であるとされている。
路引は死者の血縁関係や生前の行いが記されている通行証である。
路引がない場合には死者の魂は鬼門関を通過することができず、転生することができないと言われている。悪霊として人間界をさまようのは鬼門関を通過できない魂だと言われているのだ。
ただし「路引」の考え方は唐の時代の産物らしい。
唐の時代には死後の世界にも役所の管理に似た関所の制度があり、現代のパスポートに相当する「路引」がなければ「あの世」に渡ることができないという観念が生じたに過ぎない。
実際には別の理由で鬼門関を通過できる魂と通過できない魂が存在すると考えるべきであろう。
現代の考え方から言えば、鬼門関を通過できなかった魂は元の世界に戻り、死んだはずの人が生き返る臨死体験者の一例になるはずである。
しかし鬼門関を通過できず生き返ることもできない魂が鬼門関の手前でさまよっているというのが中国の独特な考え方なのである。死霊や悪霊と言われるものは鬼門関を通過できない魂なのだ。
黄泉路
鬼門関を通過すると黄泉の路が続いている。黄泉の路の両側には彼岸花が咲いていると言われている。彼岸花は曼殊沙華とも呼ばれる血のような色をした赤い花だ。
この色を炎の色になぞらえて、黄泉の路を「火照之路」と呼ぶこともある。
死後の世界には広大な花畑があると言われているが、中国人の観念によればそれは群生する彼岸花なのだ。
彼岸花の別名に死人花、地獄花、幽霊花などの別名があるのは、彼岸花が冥界の花だからだろう。
彼岸花の香りを嗅ぐと生前の記憶が蘇るという説もある。
死の直後に自分の人生が走馬灯のようなビジョンとして目の前に現れるという説があるが、もしかすると彼岸花の香りで生前の記憶が蘇るというのは、この現象を指しているのかもしれない。
黄泉の路には事故などによって本来の寿命よりも早く死亡した人の魂がさまよっている。本来の寿命よりも早く死亡した人の魂は、本来の寿命に達するまで黄泉の路から先に進めないと言われている。
中国では魂は転生すると言われているが、転生までに黄泉の路で待機しなければならない魂が少なくないのだ。
忘川河
黄泉の路の先には忘川河という河がある。日本では死後の世界には三途の川があると言われているが、それに相当するのが忘川河である。
中国では忘川河の向こう側が冥界であるとされている。つまり死後の魂は冥界に至る以前に「この世」と「あの世」の中間的な地点を通過するのだ。
忘川河を渡るまでの魂は元の肉体に戻る可能性が残されている。実際に忘川河を見てから元の肉体に戻る魂は少なくないようだ。
魂が元の体に戻る反魂(はんごん)という現象は中国だけの現象ではない。
日本でも三途の川を渡らずに戻って来ると死なずに済むと言われている。川を渡る前に誰かから呼び戻されるとか、祖先の「まだ渡るな」という声が聞こえたという話は少なくない。
多くの魂が川の手前で帰ってきたからこそ、生きている我々に死後の世界の様子が伝わっているのだ。
奈何橋
忘川河には奈何橋という橋がかかっている。日本では三途の川を渡し船で渡るとされているが、中国では橋を通って渡ると考えられているのだ。
橋のたもとまで来ると三生石を見ることができる。三生石の三生は前生、今生、来生を意味するそうだ。
その石は石碑のようなものであり、そこには死者の前生と今生の一切が記録されているという。
奈何橋は赤い色の上層、黄色い色の中層、黒い色の下層の3層に分かれているという説もある。
生前の行いにより通過する層が決められていて、悪人が通過する最下層を通過する霊魂は魑魅魍魎に苛まれると言われている。
奈何橋を渡ったところに望郷台という場所がある。そこに孟婆という神がいる。
魂が忘川河を渡るまでは前世の記憶を保持している。
孟婆は奈何橋を渡ってきた死者に孟婆湯という薬を与える。孟婆湯は彼岸花から作られる特別な薬である。孟婆湯を飲むことによって魂は生前の記憶を失うのである。
前世の記憶を持つ人がいるのは、非常に稀ではあるが孟婆湯を飲まずに転生する人がいるからだと言われている。
中国人の観念によれば魂は通常はこのような流れで転生する。これは数千年の歴史の中で何度も確認されて来た事実なのだ。
死後の世界が存在するだけではなく、魂は確実に転生するのである。