今もいる神獣「麒麟」との遭遇

神獣麒麟

麒麟にはふたつの意味がある。

ひとつは動物園で見かけるキリン。この巨大な生物は中国には存在しなかった。明の時代になって初めて鄭和が持ち帰ったことで知られている。

もうひとつは中国の伝説上の怪獣である。本来の麒麟はこちらのほうを意味していた。中国人がアフリカから運ばれて来たキリンを見るよりもはるか以前に麒麟という言葉は使われていたのだ。

麒麟は昔から瑞獣とされてきた。麒麟の出現は何か良いことが起きる前触れであると考えられているのだ。

幸福の象徴であるから中国では麒麟の図案や「麒麟」の文字は好んで使われる。麒麟街道や麒麟城のように地名などの中にも「麒麟」が現れることも少なくないのだ。

また麒麟は子宝を授ける神獣でもある。中国には麒麟送子という言葉があるくらいだ。麒麟は単に子を授けるだけではない。才能に恵まれた優秀な子を授けてくれるのだ。

子を授けると信じられている麒麟自身は龍と牛の間に生まれるとされている。

寿命は千年もあり、火をふくことができる。頭には角があり、首は龍に似ている。尾は牛のようであり蹄は馬に似ている。全身にウロコがあり全体の印象は鹿に似ている。ウロコがあるのは龍の血を受け継いでいる証拠であろう。

ところで麒麟は麒と麟を合わせた言葉である。麒が雄で麟が雌なのである。

西狩獲麟

麒麟を捕獲したという記録は非常に古い書物に記録されている。

現在の山東省南部に相当する地域にかつて魯という国があった。魯の国の哀帝の時代(紀元前5世紀)のことである。

魯の国の西方で山林を管理する人たちが狩を行った。そのとき魯の重臣である叔孫の車を管理する商という人物が見たことのない怪獣を捕えた。

商がその怪獣を叔孫に見せたところ、叔孫はそれを受け取らず山林の管理人に与えたという。

この怪物を孔子が目撃したのである。孔子はひと目見て「これは麟だ」と見抜いた。

このとき孔子は71歳だった。

当時孔子は『春秋』を執筆中であったが、太平の世の中にだけ出現するとされている聖獣が乱世の世に現れたことに衝撃を受け「西の土地で麟が捕獲された」と書いて『春秋』の執筆を止めてしまったと言われている。

この故事から西狩獲麟(せいしゅかくりん)という四字熟語が生まれた。「終わり」を意味することばである。

孔子は麒麟と縁の深い人物である。孔子が生まれる前に麒麟が現れたという伝説も残されている。

牛産麒麟

清の時代には牛が麒麟を生んだという話が頻繁に記録されている。

麒麟は龍と牛の間に生まれるのだが、これは性欲が強いとされている龍が雌の牛を孕ませてしまうからである。

雍正2年(1724年)のことである。現在の山東省平度市に相当する土地の民家で牛が麒麟を生んだ。

雍正5年(1727年)には安徽省の寿州で牛が麒麟を生んだ。牛の持ち主は牛小屋の中が光り輝いたので気味が悪くなり麒麟を殺して皮を剥いでしまった。全身にウロコがあり小さなツノが生えていたという。

同年に荊州でも牛が麒麟を生んだ記録が残されている。やはり全身がウロコに覆われていたそうだ。

嘉慶7年(1802年)には浙江省鎮海の民家で牛が麒麟を生んだ。色は青黒く全身にウロコがあり顎の下には毛が生えていた。首のウロコは細かかったという。

嘉慶11年(1806年)には四川省の綿陽で牛が麒麟を生んだ。出産のときに風雨が強まり小屋の中は光に満ちて全てが黄金色に輝いたという。ツノがあり眼は水晶のように輝いていた。背骨の両側には豆粒くらいの隆起があり全身はウロコに覆われていた。脚は8本あり脚の先は牛にそっくりであった。

牛が麒麟を生んだという記録はこの他にもあるがこのくらいにしておこう。

出産時に光り輝くという話があるところを見ると、麒麟は単なる未確認生物ではなさそうだ。超常現象を呼び寄せる何らかの霊的な力を秘めた存在だと考えるべきであろう。

現代の麒麟

麒麟は過去の記録にだけ現れる怪獣などではない。

中国では現代でも麒麟の目撃談が語られているのだ。例えば内モンゴル出身の男性が語る次のような話である。

それは彼が10歳のときのことだ。父親と供に狩に出かけたが天候が悪くなり獲物も捕れなかったため帰路に着いた。そのときに鹿に似た動物がゆっくりと歩いているのを目撃したという。

かなりの距離があったが父親がその動物を猟銃で撃つとみごとに命中した。

近づいてみると、その動物の頭部には一本の角があり、全体の印象は馬のようでもあり鹿のようでもあった。奇妙なことに全身はウロコに覆われていたという。

10歳の少年にはそれが何かわからなかった。「これは何?」と聞いても父親は答えなかった。父親は何も言わず穴を掘り、その動物を埋めてしまったという。

無言のまま家に戻り戸締りをしてから父親はようやく「あれは麒麟だ」と教えてくれたそうだ。

麒麟を見分けることができたのだから、父親は以前にも麒麟を見たことがあることになる。つまり中国の一部には今でも麒麟が出没しているのだ。

麒麟が出没する地域では頻繁にとまでは言えないまでも、遭遇する機会がそれなりにあるのかもしれない。

Posted by 編集長 妙佛大爺

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