関中
中国のほぼ中央に位置する陝西省に関中と呼ばれる地域がある。
関中は行政区画ではない。その範囲は時代によって異なるが、おおむね現在の陝西省中部に相当する地域だと思えばよい。
この地域は四方を険しい山で囲まれた自然の要塞である。かつては中国の政治の中心地であった。唐の都・長安(現在の西安)も関中に位置する都市であった。
関中寡婦村
関中の片田舎に趙家村という名の小さな村がある。リンゴの栽培が盛んでリンゴの花が咲く季節には花を観賞するために村外からも人が集まるのどかな村である。
趙家村の北には小さな橋があり、その付近に30戸ほどの世帯が集まる集落がある。
この集落がいつのころからか寡婦街と呼ばれるようになった。
当初は地元だけの呼び名であったのだろうが、この名の由来があまりにも奇怪であったため、今では中国全土に知られている。この影響で趙家村そのものが関中寡婦村と呼ばれることもあるのだ。
不審死
この集落の怪異はHという男性の死から始まる。
ある日、Hは謎の病気に罹り突然体が麻痺してしまった。ところがその日の深夜、Hは家から100メートルほど離れた井戸に身を投げて自殺してしまったのだ。
体が麻痺しているのにどうして井戸まで移動できたのだろうか?
非常に不可解ではあるが、這って井戸まで移動して自殺したのだろうということにされた。それ以外に説明のしようがなかったからだ。
自殺の動機は自分の病気が家族の負担にならないようにするためだと考えられた。
麻子の不可解な自殺
次に死亡したのは麻子というあだなの男性だ。
中国には「かりんとう」に似た麻花と呼ばれる菓子がある。麻花は小麦粉を練ったものを油で揚げて作る。
その男性が子供のころのことだ。
麻花屋を近くで見物していたところ、麻花屋が熱い油を捨てようとした。そのときの油が男性の顔にはねて火傷を負った。このときの火傷があまりにも強烈な印象を与えたので、麻花の「麻」から麻子というあだながついたのだという。
麻子は木から落ちても4階から落下しても怪我をしなかったという強運の持ち主であり、神仙に守られていると噂されるほどであった。
しかし麻子はHの死から一年後のある日、突然農薬を服用した上で首を吊って自殺してしまったのだ。
動機は全くわからない。自殺するような性格の人間ではないと考えられていたため、村人たちは不吉な空気を感じるようになったという。
連続死
次に死亡したのは通称、包工頭と呼ばれる男性である。
包工頭は日本語で言えば大工の棟梁に相当する。実際に彼は趙家村で家屋の建設を生業としていた。
麻子が死んだ翌年のある日、包工頭は白酒ふた瓶を飲み干して倒れ、そのまま死亡してしまった。
Hの死、麻子の死、包工頭の死により、同じ集落で3年連続の死者が出たのである。
この頃になると、村人の間にも動揺が広がった。中国の農村では不可解な事件が起きれば霊能力者を呼んでアドバイスを受けるのが当然のこととされている。
同じ集落の村民たちは道師(日本で言う霊媒師に相当する)を呼んで原因を訊ねたが、道師は異常を発見することはできなかった。
猟奇的な殺人未遂事件
包工頭が死亡した翌年には奇怪な事件が発生した。
それまで何の異常もなかった男性が突然精神に異常をきたしたのである。
数日後、その男性は全裸になり、布袋を頭にかぶり、菜刀(いわゆる中華包丁)を振り回して「殺してやる」と叫び始めた。しかし誰も殺すことができず、最後に自分自身を菜刀で切りつけ自殺してしまったのだ。
これで連続して4人の男性が死亡したことになる。
死亡したのはいずれも40歳前後の男性であり既婚者である。
残された妻たちは寡婦となり、この結果、寡婦街、寡婦村という名が生まれたのだ。
奇妙な声
菜刀で自殺した男性の家に棺を届けたW氏は、自殺した男性の家族から奇妙な話を聞き及んだ。
精神に異常をきたす数日前、自殺した男性は夜遅くまで仕事をしていたせいで、10時ごろになってようやく帰路についたという。
家に帰る途中の夜道で男性は老婆の呼び声を聞いていたというのだ。当地には夜中に呼び声が聞こえても答えてはいけないという教えがあり、男性は声をやり過ごしたそうだ。
男性が橋にさしかかると、今度は橋の下から女の子の声が聞こえたそうだ。
当日は月が明るかったので、男性は橋の下をのぞいてみた。しかし何も見つからないのでそのまま帰宅したというのである。
この話を聞いた男性は白酒を飲んで死亡した包工頭の家を訪ねた。
家族に包工頭が死亡する直前の話を訊ねると、包工頭も死の3日前に橋の下から彼の名を呼ぶ女の子の声を聞いていたことが判明した。
女児の呪い
橋の下から呼びかける女の子の正体について、インターネット上には次のような情報が記されている。
橋の下から叫んでいたのは最初に死亡した男性の娘だというのだ。
その娘は数年前に原因不明の病気に罹り、面倒を見切れなくなった父親はその娘を山の奥に捨ててしまったのである。
病気で衰えた娘は苦しみと寂しさの中で死んだに違いない。このような死に方をした霊は怨念となって「この世」の人々に禍をもたらす。
村で起きた奇怪な死亡事件は間違いなく娘の怨念によるものなのだ。
この事情を知った村人たちは山を捜索して娘の死体を発見し、手厚く葬ったそうだ。その後、村に異変は起きていないという。