船大工の呪い
船大工も木工厭勝を行うと考えられている。
明代の古い話だが、ある商人が船大工に造船を依頼したところ、饗応に不満を抱いた船大工が「3年後に破産してしまえ」との呪いをかけて、木工厭勝を行ったという。
この言葉をたまたま聞いていた依頼主が、後に舟を破壊して調べたところ、呪いのための龍の彫刻が発見されたという。
龍の彫刻を発見した依頼主は、その彫刻を油で揚げた。
木工厭勝の呪力を消滅させるには、仕掛けられた彫り物を油で揚げればよいと考えられているからだ。
龍の彫刻が油で揚げられたと知った船大工は依頼主に許しを請うたのだが、依頼主は聞く耳をもたず、再び龍を油で揚げた。
すると船大工はその場に倒れて絶命したという。
禍福転換
木工厭勝の呪力は災厄をもたらすとは限らない。ある記録に次のような話がある。
建築業者が呪いをかけるために鎖で縛った人形を門の下に埋めようとしていたところ、施主に目撃されてしまった。
施主が「何をしているのだ?」と訊ねるので、業者は仕方がなく「これはこの家が栄えるためのまじないです」と答えた。
後日、この家はその地区で最も豊かになったという。
つまり木工厭勝は、それを仕掛けるときの言葉によって、災厄をもたらすこともあれば幸福をもたらすこともある呪術なのである。
現代の木工厭勝
現在でも家屋を解体するときに梁の裏などから人形が発見されることがある。その1例を紹介しよう。
浙江省に日系企業の工場も進出している平湖という地区がある。この平湖市の北部にある小さな街で家屋の解体作業が行われた。
その際にある家屋の梁の裏から三体の麺人(小麦粉でできた人形)が発見された。これこそが木工厭勝の証拠である。
呪いには確かに効果があった。その家屋の住人は全て寿命が短く、40歳まで生きた人はひとりもいなかったというのだ。
この木工厭勝を仕掛けた人物は間もなく特定された。
今の時代は建築に関する記録が残されているので、誰がどのような工事をしたか、かなり以前まで辿ることができるのだ。
興味深いことだが木工厭勝を仕掛けた人物にも不幸が続いていたという。
その人物には4人の子がいるが、その4人には全く跡取りがいなかったそうだ。
木工厭勝は他者を害するだけではなく、自分自身にも不幸をもたらす危険な呪法なのかもしれない。