雲南の三頭人

三藩の乱

袁枚(えんばい:1716年から1797年)の『子不語』に次のような話が記録されている。

康熙12年(1673年)のことである。

漢人でありながら清軍に協力した功績で藩の領有を認められていた呉三桂(ごさんけい:1612年から1678年)らが反乱を起こした(三藩の乱)。

呉三桂

呉三桂は雲南、貴州、湖南を占領し、四川、福建、広東、广西、河南などの広範囲の地域が戦乱に巻き込まれた。

この影響で、特に江南地区では商業交通がほぼ完全に遮断され、商人たちは甚大な被害を受けたそうだ。

三藩の乱が始まったころのことである。

雲南に張3兄弟という商人がいた。

彼らは戦乱の知らせを受けて都市部からの脱出を図った。戦乱に巻き込まれれば全てを失うことになりかねないからだ。

彼らは10日かけて雲南省のほぼ中央に位置する蒙楽山(現在の無量山)の付近まで移動した。

蒙楽山の付近は普洱茶(プーアール茶)などの茶の産地として有名な土地であるが、土地勘のない者にとっては広大な森林地帯であり、一度迷い込むと抜け出すことは容易ではない。

張3兄弟は携帯していた食料を食べ尽くし、樹木の皮や草の根を食べて飢えをしのぐ事態に陥った。

大黒牛

3人は疲弊していたが、森を抜け出すために歩き続けた。

ある日の朝のことである。突然急流の水音に似た地響きが聞こえてきた。恐ろしい音であった。

3人は急いで小高い丘に登り、音のする方に目を凝らした。

すると見たこともない巨大な黒い牛が疾走しているのが見えた。あのような牛に襲われたらひとたまりもない。

3人は息を潜めて牛が走り去るのを待ち、牛の気配が完全に消えてから再び歩き始めた。

森の中の人家

巨大な牛に出会った日の夜のことである。

遠くに人家の明かりのようなものを発見した。3人はその明かりを目指して足を速めた。

確かにそれは人家のようであった。しかし人家にしては異様であった。あまりにも巨大だったのだ。

家が広いという意味ではない。造りが巨大なのだ。

3人が躊躇していると家の中から男が出て来た。

それは背の高さが3メートル以上もある巨人だった。驚くべきは背の高さだけではなかった。

その男には頭が3個もあったのだ。

巨人は3兄弟に「どうしてこんな所に来たのだ?」と訊ねた。

みっつの口が同時に話したのである。言葉は明瞭で、北方の方言に近かった。

3兄弟は事実をありのままに話した。

すると巨人は3兄弟を屋内に招き入れてくれた。そして妹に向かって食事を用意するように言った。

食事を用意して現れた巨人の妹にも頭が3個あった。

その妹は3兄弟に向かって微笑み、不気味な予言を口にした。

3兄弟のうちの長男だけは寿命が長いが、ふたりの寿命は長くないと言ったのだ。

銅鐘

3兄弟が食事を終えると、巨人は折り取ったばかりの枝を差し出した。

巨人の説明によると、その枝が指し示す方向に歩いて行けば、神廟のある所に出られるというのだ。

その神廟に着いたら、野宿の連続で疲れた体を休ませればよいと教えてくれた。

ただしその神廟には禁忌があるという。

神廟の中に銅鐘があるが、決してその鐘を鳴らしてはならないというのだ。鐘を鳴らすと大きな災いが降りかかるからだ。

話を聞き終わった3兄弟は、巨人の家を出て夜の森を歩き始めた。

夜が明けると、巨人が言っていた神廟が見えて来た。やっと休むことができる。

3人は足を速めて廟に向かった。とりあえずは体を休めたい。

廟があるのだから、近くに集落があると考えてよい。体を休めた後で集落に行けば、食べ物を手に入れることもできるだろう。

とにかく助かったのだ。

無人の廟には確かに銅鐘があった。決して鳴らしてはならない銅鐘だ。

 

疲れていた3人は廟の中に入って横になった。

ところがどういうわけか、カラスが飛んできて3人の足をつつき始めた。

疲れてイライラしていた兄弟のひとりが石ころを拾ってカラスに投げつけた。

しかし石はカラスに当たらずに銅鐘に当たってしまった。

すると巨大な鐘の音が響き、神廟の奥から2匹の夜叉が飛び出してきた。

夜叉は瞬く間に3兄弟のうちの弟ふたりを殺し、肉を喰らい始めた。

長男が逃げようとすると夜叉が襲い掛かってきた。

その時に思いがけないことが起きた。

森の中で目撃した黒い巨大な牛が現れ、夜叉に襲い掛かったのだ。夜叉はどこかに逃げ去り、兄は命拾いしたのである。

結局、兄だけが助かり、三頭の巨人の妹が予言したとおり、兄は長生きしたそうである。

付記

雲南省の山岳地帯は現在でも謎に満ちた土地である。

雲南の森に未確認の巨大生物が生息している可能性は限りなく大きい。