夜歩く死者

湘西趕屍

湘西(湖南省西部)には趕屍(かんし)と呼ばれる呪術がある。

趕屍は死者を歩かせる呪術だ。

この呪術を使う呪術師を趕屍匠(かんししょう)という。

湘西は山深く、耕作面積が少ない。だから地元での耕作だけでは生活が維持できず、出稼ぎに出る人が多かった。

出稼ぎに出る人が多いと、出稼ぎに出た先で死亡する人もいる。

中国では遺体は故郷に埋葬するべきだという強い観念があるが、出稼ぎに出た先で死亡すると、家族は遺体を故郷に運搬することができなかった。

湘西の道は険しく、遺体を運搬するには数人がかりで数日かかるのだが、それには高額の費用が必要となるからだ。

このような時に遺族は趕屍匠に遺体を歩かせて故郷に帰らせるように依頼していた。

趕屍隊

依頼を受けた趕屍匠は複数の遺体を同時に歩かせることが多かった。

数体の遺体を一列に並ばせて歩く趕屍匠の一行は趕屍隊(かんしたい)と呼ばれた。

趕屍匠は小さな鐘と銅鑼を鳴らしながら歩いたと言われている。死者を歩かせるのは夜間であった。

湘西ではこの音を聞いたらを屋内に閉じ込め、趕屍隊と遭遇しないように道を譲る習慣があったそうだ。

犬は霊的な作用に干渉するので、趕屍隊が犬と出会うと死体は歩かなくなってしまうのである。

湘西には趕屍隊のための特別な宿があったという。

そのような宿は死屍客店死屍店などと呼ばれていた。

趕屍匠は死屍客店に泊まり、死体を戸の内側に立てかけた。

だから湘西では戸の裏側は死者の領域であるとされている。今でも湘西では子供が戸の裏側で遊んではならないという禁忌があるそうだ。

趕屍隊が遺族の家に近づくと、使者が遺族の家に到着日を知らせた。知らせを受けた遺族は棺を用意して趕屍隊の到着を待ったのだ。

遺族の家に到着すると趕屍匠が遺体を棺に納めた。遺体を納める一部始終は絶対的な秘密とされ、遺族の関与は一切許されなかった。全ての作業を趕屍匠と弟子だけが行ったそうだ。

趕屍匠の流儀

かつての湘西には 複数の趕屍匠がいたようだ。

趕屍の方法は秘密であり、弟子にだけ伝えられる秘伝であった。

弟子になるにはいくつかの条件が必要であった。

先ず体力が優れている必要がある。険しい山道を何日も歩く必要があるからだ。

さらに度胸が必要だ。夜間の山道は非常に不気味である。夜の森を恐れるようでは趕屍匠は務まらないのだ。

さらに奇妙な条件があった。

趕屍匠になるには、容姿が醜くなければならないのだ。

趕屍匠は独身でなければならない。妻や子がいると、趕屍の秘密が漏れる危険性があるからだ。

容姿が醜ければ結婚することができない。だから敢えて容姿が醜い男を選ぶのである。

実在する趕屍

趕屍は都市伝説の類ではない。

かつての中国では多くの人たちが趕屍を目撃している。

例えば共産党政権が誕生した直後の湘西で、共産党の兵士が趕屍を目撃した話が残されている。

湘西に派遣された兵士が夜中に一列になって歩く趕屍隊を発見した。不審に思って尾行したところ、趕屍隊は死屍客店に泊まった。

そこで死屍客店を調査したところ、趕屍隊の先頭と最後尾の男以外は死体だったというのだ。

この目撃証言は一例に過ぎない。

湘西の老人たちは生涯に一度や二度は趕屍隊を目撃しているのが普通なのだ。湘西とはそのような土地なのである。

死者が歩く謎

数多くの目撃証言がある以上、死者が歩くという信じがたい現象が実際に起きていたことは、疑いようがない。

これはあまりにも大きな謎である。

現在の中国では何らかのトリックを使って死体が歩いているように見せかけていたという説が主流である。

中国のテレビ番組は趕屍の「タネ明かし」として、死体の脇の下に竹竿を通して、その竹竿を趕屍隊の先頭と最後尾の人間が担いだという説を放映した。

しかしその説明には無理がある。

何体もの死体を担いで険しい山道を歩けるはずがないからだ。

画像による説明にアニメーションが使われていたことも「竹竿トリック」の無理を物語っている。

「竹竿トリック」が可能なのであれば、ふたりの人間に実演させればよいのだが、実際には無理があるのでアニメーションを使ったのだ。

中国のテレビ番組は「趕屍は迷信である」という結論ありきの構成になっているので、強引な「タネ明かし」が行われ、結果的に信憑性を失っているのだ。

死者を歩かせる秘術の謎はいまだに明らかにされていない。

湘西に現存する最後の趕屍匠は、趕屍は厳しい修行を行ったものだけが獲得できる法術によるものだと主張している。