脳を喰らう怪物の記録

脳の味

日本には動物のを食べる習慣がない。しかし狩猟民には動物の臓物を残らず食す文化がある。

彼らにとって獲物は貴重であり、臓物と言えども捨てるには惜しいからだ。

中国人の食文化には明らかに狩猟民の文化が反映されている。だから動物の内臓を用いる中華料理は珍しくない。

もちろん動物の脳も立派な食材である。しかも高価な珍味なのである。

脳は牛、豚、羊のような大きな動物1頭を捌いても、わずかしか採取できない貴重な食材だからだ。

どの動物の脳を食べても味は似ている。クリーミーで上質な脂肪の味がするのだ。

人間に限らず、およそ肉食の動物にとって、脳は食べ物として最高の臓器であろうと推測できる。

そうだとすると、牛などよりもはるかに大きな人間の脳は、肉を食べる生物たちにとって非常に魅力的な部位であることになる。

野狗子

蒲松齢(ほしょうれい:1640年から1715年)の『聊斎志異』には野狗子(やくし)いう妖怪が登場する。

野狗子は身体は人間と同じだが、頭部だけが野獣の姿をした怪物である。

野狗子は人間の脳を好んで食べるという。

かつての中国では戦場に出没したそうだ。死んだ兵士の脳を喰らうためだ。

また土葬された直後の死体を掘り出して脳を食べることもあったそうだ。

生きた人間を捕えて脳を食べることもあったそうだが、生きた人間は抵抗したり逃げたりするので、死体の脳を喰らうことが多いと言われている。

野狗子については地域によって別の話も語られている。

湖南省の一部地域では、野狗子は人間の心臓を喰らうと言われているようだ。

人間の心臓を食べた野狗子は人間の姿に変化することができるそうだ。

蒲松齢は野狗子は脳を食べるために戦場に現れると書いているが、野狗子は戦乱の前兆であるとの言い伝えもあるようだ。

野狗子が現れると世の中が乱れて戦乱が起きるそうだ。

干宝(かんぽう:336年没)の『捜神記』には次のような記録がある。

秦の穆公(ぼくこう:B.C.621年没)の時代に、陳倉(ちんそう)という所で、地面の下から奇妙な生き物が掘り出された。

それは羊のようでもあり、豚のようにも見える生き物だった。

珍しいものを掘り当てたので、地元民はその生き物を穆公に献上することにしたそうだ。

村人たちがその生き物を都に運んでいるときのことだ。

ふたりの子供が現れてそれは「媼」だと告げたそうだ。

日本語では媼は「おうな」と読み、老婆を意味するが、当時の中国では媼は妖怪の名前だったのだ。

子供たちは、さらに不気味な事実を告げた。

媼は地底に棲んでいて、人間の死体が埋葬されると地下を移動して遺体に近づき、土葬された人間の脳を喰うというのだ。

話を聞いた村人たちは驚愕した。妖怪の祟りを恐れて震え上がったのだ。

子供たちが柏の木の枝を削って脳天に刺すと媼は死ぬと言うので、村人のひとりが柏の木の枝を探してきた。

すると死んだふりをしていた媼が起き上がり、あのふたりの子供は人間ではないと言い出したそうだ。

ふたりの子供は珍宝という妖怪であり、男珍宝を捕えれば皇帝になることができる、女珍宝を捕えれば覇王になることができると告げたのだ。

これを聞いた村人たちは一斉に子供たちに襲い掛かった。

しかし子供たちは鳩に姿を変えて飛び去ったそうだ。

山和尚

袁枚(えんばい:1716年から1797年)の『子不語』には山和尚(さんおしょう)という妖怪が登場する。

山和尚は普段は山の奥に棲んでいる。

全身が黒く背は低くて太っている。頭が剥げているので、離れたところから見ると、黒い袈裟を来た僧侶のように見える。

この外見が山和尚という名の由来である。

泳ぎが上手で洪水の時などに人間の集落にやって来るそうだ。

山和尚も人間の脳を喰らう妖怪である。

野狗子や媼は通常は死体の脳を喰らうのだが、山和尚は生きた人間の脳を狙うそうだ。

山和尚は病気で弱っている人間やひとり暮らしの人間を狙う。やはり抵抗されることを避けようとするのだろう。

しかし狙いを付けた相手には容赦はない。いきなり頭部を攻撃し、脳を吸い出すのだ。

弱いものから先に餌食になるという話には不気味なリアリティーがある。

付記

人の脳を喰う妖怪の伝説は、人の脳を喰う人たちの話から派生したものであるという説がある。

実際に人間の脳を食べる習慣はパプアニューギニアで確認されている。

彼らは遺体の脳を食べることによって、クロイツフェルト・ヤコブ病に罹患していたため、人脳食という不気味な習慣は世界的に有名になった。

同じような習慣がかつての中国になかったとは言い切れない。

食糧事情が乏しかった古代のある時期に、人間の脳が「ごちそう」とみなされていた時期があるのかもしれない。