霊という不思議な存在
肉体が滅んでも霊魂は残るのか?
これは人類に残された最大の謎であると言ってよい。
しかしすでに答えは得られていると考えている人も少なくない。
霊と交信できる人や臨死体験によって死後の世界を見てきた人などがその一例である。
霊魂は純粋な意識であると言ってよいだろう。
そうだとすれば意識は脳が生み出したものではない。脳という臓器や肉体とは独立した存在なのだ。
これは人間に特有の事情ではない。
意識をもつ動物にも霊魂はあり、その霊魂は肉体が滅んだ後も不滅なのである。
そのことを示す話が残っているので紹介しよう。
動物の霊
清代の詩人袁枚(えんばい:1716年から1797年)の『子不語』に「羊骨怪」と題する次のような話が記録されている。
李という役人が江蘇省の沛県(はいけん)に赴任していた時のことである。
友人が故郷の杭州に戻ることになったので手紙を託すことにした。
李は若い者に糊(のり)を作らせた。当時は手紙を封じる糊も手作りの時代であったのだ。
その夜、糊を置いておいた部屋から物音が聞こえて来た。
李はネズミが糊を食べに来たのではないかと思って様子を見に行った。
当時の糊は小麦粉から作られたので、ネズミなどの小動物が好んで食べたのである。
驚くべきことに糊を食べていたのはネズミではなく全身が真っ白い毛に覆われた羊であった。
次の日に確認すると、やはり糊は消えていた。夢ではなかったのだ。
不思議に思った李は再び糊を作らせて夜を待った。
羊は再び現れた。李は糊を食べて去って行く羊の後を追った。
1本の木の下に来た時、羊は突然消えてしまったのだ。
翌日、李は羊が消えた地点の土を掘らせた。すると羊の骨が出てきたのだ。腹の位置には糊が残っていたという。
骨を集めて焼いたところ、羊は現れなくなったそうだ。
霊魂と物質の不思議な関係
遺棄された死体や遺骨を供養することによって、霊障が収まるという話は珍しくない。
このことから、人や動物が死ぬと霊魂は肉体から自由になるはずであるが、遺体の状況によっては、何らかの制約を受けることがわかる。
霊魂と肉体の関係は単純ではない。死後の霊魂は死体という物質から完全に独立した自由な存在ではないのだ。
ただし人類は経験的に霊魂と肉体(死体)の関係を解く方法を発見している。
それは火葬である。
火葬は多くの燃料を必要とする高コストの遺体処理法である。なぜこのような処理方法が生まれたのか?
土葬で何の問題もなければ、火葬をしなければならない理由は見当たらないのだ。
火葬することによって霊魂と肉体(死体)との関係が切れる。そのことにより霊魂は完全に自由になり、高次元の異世界に移動できるのだ。
霊魂が高次元の異世界に移動することによって「この世」に禍をもたらすこともなくなる。
これが供養によって霊障が消えるメカニズムなのだ。
我々人類は霊魂という捉えどころのない存在を完全にコントロールすることはできない。
死者の霊魂が日常的に「この世」に干渉することになると、あらゆる場面で霊能力者の力を借りなければならなくなる。そうなれば霊能力を持つ者が社会を支配するようになるのだ。
実際に殷の王家や邪馬台国の卑弥呼など、古代社会の支配者は霊能力者であった。現在でもアフリカや東南アジアの一部地域では、霊能力者の社会的影響力は非常に大きい。
霊的世界を否定している中国共産党は、霊能力者が社会に影響力を持つことを非常に恐れている。
霊能力者のプレゼンスを低下させるためには、霊障の根源である霊魂を適切に扱うことが重要なのだ。
そのためのひとつの政策が火葬奨励である。
遺体を火葬して霊魂を「この世」から遠い高次元の世界に向かわせる。このことによって霊能力者が活躍する場面を減らし、彼らの影響力を低下させようとしているのだ。
日本のように火葬が一般化し、霊的な事象が珍しくなった国では理解しがたいかもしれないが、中国ではいまだに霊能力者は共産党政権を脅かすほどの存在とみなされているのだ。
法輪功のような宗教団体が厳しい取り締まりの対象になっていることも、共産党政権が霊能力者を恐れていることを如実に示している。
火葬は表向きは国家の近代化や衛生問題の一部として語られているが、実は霊能力者を制圧するための計略の一部なのかもしれない。