幻の植物「屍参」とマンドラゴラ

マンドラゴラ

マンドラゴラという名の植物をご存知だろうか?

マンドラゴラはユーラシア大陸に広く分布する奇妙な植物である。マンドラゴラの根は人の形をしている。

その姿を見ただけでも神秘的な力が秘められているような気がしてくる植物なのだ。

マンドラゴラには鎮痛作用などの不思議な効果があり、かつてのヨーロッパでは魔術師や錬金術師の秘薬として使われていたようだ。

マンドラゴラの危険性

使い方次第では有用な植物であるが、マンドラゴラは簡単には採取できない非常に危険な植物でもある。

マンドラゴラを引き抜こうとすると、マンドラゴラはまるで動物のように悲鳴を上げるというのだ。恐るべきことに、この悲鳴を聞いた人は精神に異常をきたして死亡すると言われている。

このためマンドラゴラの採取には特殊な方法が使われていた。

一般的な方法として言い伝えられているのは、次のような犬を使う方法だ。

まず犬とマンドラゴラを紐でつなぐ。そうしておいて人間は遠くに離れるのだ。

マンドラゴラの悲鳴が聞こえない安全なところまで離れてから犬を呼ぶと、犬が駆け出し、マンドラゴラが引き抜かれるのだ。

このようにしてマンドラゴラを採取すると、犬はマンドラゴラの悲鳴を聞いて死んでしまう。

マンドラゴラはそのような犠牲を払わなければ採取できないため、非常に貴重で高価な薬になったようだ。

屍参という秘薬

中国には次のような伝説がある。

イスラム世界には現地の言葉でyabruh、中国語では屍参(しせん)または鬼参(きせん)と呼ばれる植物がある。泥が堆積した土地や墓地など、じめじめした暗い環境を好む植物だ。

中国語で「参」の字が使われるのは、形が朝鮮人参に似ているからだ。ただし朝鮮人参よりもはるかに大きい。また朝鮮人参とは全く別種の植物である。

屍参には猛毒があるが、加工することにより有用な薬になる。

屍参を採取するときには植物の周りをレンガで囲い、中に犬を数匹閉じ込めて蓋をする。

密閉された空間で息が苦しくなった犬は本能で土を掘り始める。この結果、屍参が掘り起こされる。しかし犬は屍参に触れた瞬間に死んでしまうそうだ。

屍参の採取方法には別の方法もある。

まず犬の足と屍参を紐で縛る。そうしておいて屍参から離れ、爆竹で犬を脅かす。犬が驚いて走り出すと屍参が引き抜かれる。

ただしこの方法を用いると人間も中毒死する危険が高いので、あまり使われなかったそうだ。

なぜわざわざ犬を使って屍参を引き抜かせるのだろうか?

言うまでもなく人間が直接屍参を引き抜くと死の危険があるからだ。

屍参の話はマンドラゴラの話とあまりにも類似している。

マンドラゴラと屍参

ふたつの話の類似性から、中国で屍参と呼ばれている植物はマンドラゴラであると言われている。あるいはマンドラゴラの変種かもしれない。

屍参は宋代には広く知られた漢方薬であった。

この薬を少量服用しただけで手を切り落としても痛みを感じなくなるという。つまり強力な鎮痛作用があるというのだ。ただし量を間違うと簡単に死んでしまうので使い方は難しいとされていた。

このような強力な薬草は滅多に手に入るものではないと思いたい。しかし実際には屍参はそれほど珍しいものではなかったようだ。

屍参の粉を飲ませて体を痺れさせ、所持品を奪う輩もいたようである。現在の言葉で言う昏睡強盗である。

恐らく彼らはイスラム商人から屍参を購入していたのだろう。

麻沸散と通仙散

後漢末期の名医である華佗(かだ)は世界で初めて麻酔を使った外科手術を行ったと言われている。

華佗が発明した麻酔薬は麻沸散(まふつさん)という。当時の資料が残っていないため、麻沸散がどのように作られたかは謎とされている。

漢方薬だけで開腹手術が可能な麻酔薬を作ることは不可能であり、華佗の外科手術は伝説であると考える人もいるだろう。

しかし江戸時代の医師である花岡青洲(はなおかせいしゅう:1760年から1835年)は、華佗の麻沸散を再現しようと試行錯誤を繰り返し、漢方薬だけを用いて全身麻酔薬である通仙散(つうせんさん)を開発している。

通仙散の開発に協力した花岡青洲の妻は、人体実験を志願して失明している。実は通仙散には劇薬が配合されている。有用であるが非常に危険な薬でもあるのだ。

花岡青洲は通仙散を用いて乳がんの摘出など多岐にわたる外科手術を成功させた。

全身麻酔による外科手術と聞くとヨーロッパが初のように思われるかもしれないが、日本のほうがヨーロッパよりも先に開発した医術なのである。

現在の西洋医学は漢方を凌駕しているが、明治時代までの西洋医学は漢方と大差ないか、場合によっては劣ることもあったのだ。

麻沸散と屍参

花岡青洲の成功によって華佗の麻沸散の信憑性も高まった。では華佗の麻沸散と花岡青洲の通仙散は同じものなのだろうか?

実は花岡青洲は通仙散の製法を秘密にしていたため、通仙散の全貌は明らかではない。ただし弟子の一部が禁を破って秘密を明かしていることから、かなりの情報が明らかになっている。

その情報からは通仙散の有効成分は曼陀羅華(まんだらげ)や草烏頭(そううず)から得られていたと考えられる。両者とも非常に危険な有毒植物だ。

一方、華佗の麻沸散については、屍参が使われていたとする説がある。屍参には強力な鎮痛作用があるからだ。しかも昏睡強盗に使われていたのだから、曼陀羅華や草烏頭に比べれば使い方が容易であったに違いない。

現在の中国では屍参は幻の植物になっている。また手術には近代的な麻酔が使われているため、医学的な需要はなくなった。

麻沸散の製法も屍参の姿も今となっては歴史の闇にかき消されている。