死後も腐らない肉身菩薩の謎

肉身菩薩とは

中国の仏教界では死亡した僧侶は舎利(シャリ)になると言われている。舎利はは舎利子または堅固子と呼ばれることもある。

舎利には碎身舎利(サイシンシャリ)と全身舎利の2種類がある。

碎身舎利は火葬後の遺骨である。

全身舎利は死亡した僧侶のミイラである。この全身舎利こそが今回紹介する肉身菩薩である。

肉身菩薩は死体に順位的な保存加工を行わずに成立する。本来なら死体を放置すれば腐乱するはずであるが、肉身菩薩はなぜか腐敗しないのだ。

なぜ僧侶の死体が腐らないのかについて仏教徒は次のように説明している。

徳の高い僧侶は生前の修行により心と体が清められ、心身の状態が通常の人たちとは異なっている。修行により浄化された肉体は死後も腐敗しないのだ。

この説明が正しいなら高僧の死体の多くが肉身菩薩になるはずだ。しかし肉身菩薩の数は限られている。実は僧侶の多くは火葬されていたので肉身菩薩になる僧侶は例外的な存在だったのだ。

死後に己の姿を晒して衆生を救うと志願した僧侶だけが荼毘に付されずに肉身菩薩に姿を変えたのである。

この説明はあくまで中国の仏教徒の理解である。死体が腐敗しない現象は部外者からはある種の超常現象であると考えられている。その点について検討する前に中国に現存する肉身菩薩の具体例を紹介しよう。

釋海玉

釋海玉は明の時代を代表する僧侶のひとりである。法名を無暇禅師または海玉和尚という。後に皇帝から應身菩薩の名を賜ったことから應身菩薩と呼ばれることも多い。

釋海玉は仏教の聖地である五台山、峨眉山などで修行した後、九華山に庵を結んで俗世間との縁を断った。

九華山の庵では血経の作成に挑んだ。血経とは自らの血液による写経である。釋海玉は20年の歳月を費やして『大方広佛華厳経』を完成させている。

この修行期間中にすでに奇跡は起きていた。釋海玉は不食に近い生活を続けていたのである。野生の黄精(漢方薬の一種)を食し、その後は7日間ものあいだ何も口にしないという生活を続けていたと言われている。

天啓3年(1623年)に死亡したとき年齢は126歳であった。

ある仏教徒の話によると遺体は釋海玉の遺志により弟子たちの手によって大きな甕の中に葬られたそうだ。

3年後に甕を開けると、まるで生きているかのような肉身菩薩に変化していたという。弟子たちは肉身菩薩に金箔を貼り、崇拝の対象として後の時代に伝えたというのだ。

しかし釋海玉はたったひとりで修行をしていたので、弟子はひとりもいなかったと言われている。弟子たちが釋海玉の遺体を甕の中に葬ったという話に対しては異論があるのだ。

ある人は釋海玉の遺体は死後数年間、発見されなかったと言う。発見されたのは崇禎3年(1630年)、皇室が九華山に敬香の勅使を送ったことがきっかけだというのだ。

九華山に到着した勅使である兵部尚書・王氏は南東の方角に見える山頂付近に白い光線が差しているのを目撃したという。王氏は部下に命じて光の差している地点を捜索させた。

するとそこには洞窟があった。その洞窟の中で座した姿勢でミイラ化した釋海玉が発見されたというのだ。洞窟の中にあった日記から死後3年9カ月もの時が経過していることが判明したと言われている。

どちらの話にも遺体をミイラ化するための特別な作業の話は出てこない。高僧の遺体は腐らないという仏説はやはり真実なのだろうか。

なお、現在、釋海玉の肉身菩薩は九華山の百歳宮殿に安置されている。

大興和尚

大興和尚は俗名を朱毛和と言った。清の光緒20年(1894)生まれ。安徽省太湖県の出身である。九華山で仏門に入り中国各地の仏教聖地を巡礼した後に九華山双渓寺に戻った。

大興和尚は漢方医学の達人であったらしい。医学知識を生かして多くの人を治療していたようだ。

当時は激動の時代であった。清は滅亡し中華民国の時代になっていた。国家の医療制度などに期待できる状態ではなかったから、大興和尚は民衆の救いになっていたに違いない。

1985年に怪我により体の自由が利かなくなった。死期を悟った大興和尚は肉身菩薩となることを志願して永眠した。

当時の双渓寺には遺体は火葬するという規定があった。しかし大興和尚を慕う民衆が火葬に反対したため、大興和尚の遺体は甕の中に葬られ保存された。

3年6カ月後に甕を開けると、大興和尚の遺体はまるで生きているかのような肉身菩薩に変じていたという。

後に民間の有志が資金を出し合い大興和尚の肉身菩薩に金箔が貼られた。現在、大興和尚の肉身菩薩は双渓寺の大興和尚肉身堂に安置されている。

肉身菩薩の聖地・九華山

もうお気づきであろう。釋海玉も大興和尚も「九華山」にゆかりのある僧侶である。確かに九華山と肉身菩薩には密接な関係がある。実は九華山は中国屈指の肉身菩薩の集中地帯なのだ。

人間の遺体が腐敗せずに肉身菩薩に変化するのは非常に珍しい現象である。肉身菩薩の存在はそれ自体が奇跡なのだ。

それほど希少な肉身菩薩が九華山には14体も集中している。その中には僧侶の肉身菩薩だけではなく尼僧や道士の肉身菩薩も含まれるのだ。

いったい九華山とはどのような土地なのだろか?

九華山は安徽省青陽県にある仏教の聖地である。緯度を見ると日本の九州よりもやや南に位置するが、山深い土地なので年間の平均気温は15度にも満たない。

降水量が多いので植物や菌類の楽園であるが、農業に適した土地は少ないので昔から一般人が生活するような土地ではなかった。

九華山が道教修行者や仏教修行者の聖地となったのは、喧騒から隔絶した過酷な自然環境が肉体と精神を鍛える場にふさわしいと考えられたからだろう。

厳しい修業を行う僧侶が集まる土地であるから九華山に肉身菩薩の志願者が多いのは不思議ではない。それにしても肉身菩薩に変化する確率が高いのはなぜだろうか。

徳の高さや修行の結果であるという説明に納得できない人たちは九華山の自然環境に何らかの特殊性があると考えている。

しかし九華山の環境を調査すると九華山の条件はむしろ肉身菩薩の成立を否定する結果になる。九華山一帯は降水量が多いために湿度が高くタンパク質を腐敗させる微生物が繁殖しやすいのだ。

現在の九華山は観光地でもあるが、現地のホテル経営者はカビ対策に頭を悩ませている。また木製の構造物は菌類の餌食になり数年でボロボロになってしまうと言われているのだ。このような環境で遺体が腐敗しないのは奇跡としか言いようがない。

晒された内臓

防腐処理をしていない遺体が腐敗しないという話はあまりにも奇妙である。かつての中国には肉身菩薩の存在そのものが作り話であると考える人も少なくなかった。

特に文化大革命の時代には肉身菩薩は迷信だとみなされていた。このため中国各地の肉身菩薩は破壊、焼却の危機に晒されたのだ。

例えば九華山でも5体の肉身菩薩が焼却されている。現存する肉身菩薩は紅衛兵が来る前に秘匿されて助かったものなのだ。

文化大革命の最中には人工の模造品であると疑った紅衛兵が肉身菩薩を解体することもあったという。このときは肉身菩薩の体内から内臓が現れたため紅衛兵たちを驚かせたという。

現在ではX線を使った非破壊検査によって模造品でないことを確認することができるが、かつては直接破壊することによってしか肉身菩薩の中身を確認することはできなかった。

平時ではありえない肉身菩薩破壊という蛮行が文化大革命という異常な雰囲気の中で行われた結果、紅衛兵の意図に反して生身の人間が肉身菩薩になったという事実が証明されてしまったのだ。

未解決の謎

肉身菩薩の最大の謎はなぜ腐敗しないのかという点である。

新疆の砂漠のような乾燥地帯であれば死体が自然にミイラ化することは不思議ではない。

しかし肉身菩薩が出現する土地は湿潤な環境の土地なのだ。多くの学者が謎を解く鍵は環境の中に隠されていると考えて肉身菩薩が出現する条件を探ろうとした。

しかし肉身菩薩が出現する土地では、非常に類似した条件で埋葬された別の遺体が腐敗し、僧侶の遺体だけが肉身菩薩になるケースが確認されている。つまり環境要因だけで肉身菩薩の謎を解くことは不可能なのだ。

やはり肉身菩薩の成否については死体が安置される環境ではなく、死者そのものに具わった条件が決定的な意味をもつと考えざるをえない。それが高僧の霊力なのか神仏の加護なのか、今のところ誰にもわからない。