埋もれていた軍事機密
第二次世界大戦の末期にアメリカ空軍の隊員が奇妙な航空写真を撮影していた。
撮影のきっかけは偶然に起きたハプニングである。補給任務のために西安上空を飛行していた米軍機にトラブルが発生したのだ。
パイロットは万が一の脱出に備えて高度を下げた。
地上の様子が明確に目視できるところまで高度を下げたとき、乗員のひとりが驚くべき構造物を発見した。
巨大なピラミッドが屹立していたのだ。乗員はそのピラミッドを撮影した。
帰還後にこの写真は上官の手に渡り、軍の機密資料の一部として保存された。
その情報はニューヨーク・タイムスで紹介されたことがある。
エジプトのギザのピラミッドが147メートルの高さがあるのに対して、中国のピラミッドは300メートルの高さがあると紹介されたが、当時はあまり注目されなかった。
衛星写真による追認
軍事衛星を使った撮影が一般化し、その情報が民間にも流出するようになってから、西安郊外のピラミッドは再発見されることになる。
当時は大変な発見と考えられたが、現在ではグーグルマップを利用すれば、だれでもピラミッドを確認することができるのだ。
確かに西安郊外には無数のピラミッドが存在する。
清朝末期にピラミッドの付近に立ち寄った外国人の記録によると、現地では昔からピラミッドについての伝説が語られていたそうだ。
ピラミッドは8000年前から存在し、ピラミッド建設の様子を記した古書が存在していたというのだ。
しかし後の調査によりピラミッドは漢代の皇帝陵であることが明らかになった。8000年は大げさであるが、およそ2000年前にはピラミッドが建設されていたことが判明したのだ。
中国のピラミッドの形状は、エジプトのピラミッドと非常によく似ている。またエジプトのピラミッドも王の墓であると考えられており、中国のピラミッドが皇帝陵であることと共通している。
これを偶然の一致と考えるのは無理がある。遠く離れたエジプトの建造物と同じものが中国にも建設された理由こそが最大の謎なのだ。
この謎について深入りする前に、西安以外の土地にある中国のピラミッドを紹介しよう。中国には西安郊外のピラミッド群の他にもいくつものピラミッドが存在するのだ。
少昊陵
山東省の曲阜(きょくふ)に少昊陵(しょうこうりょう)という陵墓がある。
この陵墓は神話時代の聖人である黄帝の子である少昊(しょうこう:B.C.2598年からB.C.2525年)の墓である。
少昊陵は日本ではほとんど知られていないが、アメリカなどでは中国のピラミッドとして非常に有名である。
なお、現在の少昊陵は清の時代に修復されたものである。
発掘調査によると、少昊陵の周囲には小さなピラミッドが点在していることも判明している。その位置関係はエジプトのピラミッド群と非常によく似ているのだ。
曲阜にはかつて少昊の国があった。
『左伝』によると、この国の文武百官には鳥の名がつけられていたそうだ。例えば鳳鳥氏、玄鳥氏、伯趙(スズメの一種)氏、青鳥氏、丹鳥氏、祝鳩氏、鶻鳩氏などの官名があった。
多くの学者は少昊の国では鳥が崇拝されていたと解釈している。しかし崇拝されていたのは本当に鳥だったのだろうか?
鳥は何らかの飛行体の象徴とも考えられる。
遼寧省のピラミッド
遼寧省・牛河梁(にゅうがりょう)には、5500年前の紅山文化遺跡がある。
紅山文化遺跡には大規模な神殿などの建築遺構があるのだが、その中にピラミッドの一部が残されているのだ。
紅山文化遺跡は、中国にはエジプトのピラミッドよりも古いピラミッドがあったことを示している。
しかも紅山文化遺跡からは地球上の生物とは異なる生命体を模写したと思われる工芸品が多数出土しているのだ。
これらの工芸品を見れば紅山文化の性質がどのようなものか、遺跡で発見されたピラミッドがどのようなものか、容易に想像できるのである。
チベットのピラミッド
チベットにはカイラス山という聖地がある。古くから聖なる山として崇められてきたため、登山許可が下りない山として有名である。
かつてナチス・ドイツがカイラス山周辺を2度にわたって調査したことがあると言われている。
ご存知のようにナチスは神秘主義団体でもあった。
ナチスが古くから聖山として崇拝されてきたカイラス山に興味を持ったのは当然であろう。一説には、アーリア人の起源に関する情報を収集するための調査であったとも言われている。
ナチス・ドイツの資料は第二次世界大戦終結後にソ連とアメリカの両国が入手したとされている。
この資料の一部が旧ソ連から流出したのだ。
その情報によると、カイラス山の周囲で100を超えるピラミッドが発見されていたというのだ。
ピラミッドの高さは、低いものでも100メートルあり、高いものは1800メートルもの高さがあったという。
ピラミッドを構成する石組みの分析から、ピラミッドはかなり昔に建造されたものと結論付けられていた。
近代的な建設機器が現れる以前に、エジプトのピラミッドよりも大きなピラミッドが標高6000メートル地帯に建造されていたのだ。
これだけでも驚異的であるが、もうひとつの謎がある。
カイラス周辺はチベット屈指の巡礼地でもある。もしも巨大なピラミッドがあるなら、ナチスが調査する以前から現地の人々に知られていたはずだ。ところがナチスが調査するまで、誰もその存在を知らなかったのだ。
この状況が意味することは、ただひとつである。
巨大な建造物を不可視化するテクノロジーが現在でも機能していることを意味しているのだ。
ピラミッドの設計者
中国のピラミッドは他にも存在するが、ピラミッドの建設者を推測するためには以上の情報で十分であろう。
飛行体を崇拝する古代文明。地球外生命体を示唆する工芸品。人類の技術では不可能な巨大建築。未知の不可視化テクノロジー。
これら全ては古代人類と地球外生命体との接触を証明している。古代中国人は宇宙人からピラミッドの建設法を学んだのだ。
恐らくピラミッドは人類にとっても宇宙人にとってもメリットのある存在だったのだろう。
しかし多くのピラミッドは何らかの理由で役割を失ったのだ。地球上の多くのピラミッドは現在では遺跡にすぎない。
しかしカイラスのピラミッドのように現在でも機能していると思われるピラミッドが存在するのだ。
同じように中国インド国境付近にも不可視化されたピラミッドが存在すると言われている。
地球外生命体と人類の接触は、現在でも失われていないと考えるのが順当であろう。