異世界の生命体である孫悟空の任務

孫悟空とは何か

日本人の多くは孫悟空の本質を知らない。孫悟空は人間並みに知恵がある猿であるとか、猿の妖怪であると考えている人が多いのだ。

しかし孫悟空は妖怪ではない。また単なる猿でもないのだ。

『西遊記』をそのまま信じるなら、孫悟空は「岩から生まれた」ことになっている。この時点で通常の動物とは一線を画す存在であることがわかる。

日本のテレビドラマなどでは岩から生まれた猿が三蔵法師と共に天竺に向かうストーリーが紹介されて来た。

しかし三蔵法師の補助者として天竺に向かう前に重要なエピソードがあるのを忘れてはならない。

孫悟空は道教の修行を行っているのだ。

孫悟空が行う神秘的な術は全て道術である。雲に乗って空を飛ぶ觔斗雲(きんとうん)の術も道術の一種なのである。

しかも孫悟空は天界の金丹を食べている。

金丹は道士が作る不老長寿の霊薬であり、究極的には仙人になるための秘薬なのだ。孫悟空は道教的に言えば仙人なのである。

『西遊記』を見たことがある人は、三蔵法師を觔斗雲に乗せれば、何の苦も無く天竺に行けるのではないかと考えたことがあるはずだ。

しかし觔斗雲に乗れるのは神か仙人だけなのだ。徳の高い僧侶ですら觔斗雲に乗ることはできない。觔斗雲に乗れることだけでも孫悟空が仙人であることを示している。

宝山の古墓

福建省順昌県の宝山で驚くべき考古学的発見があった。

斉天大聖(せいてんたいせい)の墓である。

斉天大聖は孫悟空の自称だ。つまり孫悟空の墓が実在したのである。

しかも斉天大聖の墓からは金箍棒(きんこぼう)も発見されているのだ。

孫悟空の武器と言えば如意棒(にょいぼう)であるが、中国では通常は金箍棒と呼ばれている。

単なる想像力の産物と思われていた孫悟空が、実はリアルな存在であったことを突き付ける物証が現れたのだ。

驚異的な長寿

『西遊記』によれば、天竺から戻った孫悟空は佛になったとされている。しかし実際には人間界にかなり長いあいだ留っていたようだ。

学者の鑑定によれば、斉天大聖の墓は元末または明初に作られたものである。つまり14世紀、日本では鎌倉時代から室町時代にかけての時代だ。

三蔵法師(602年から664年)は唐の時代の人物である。

ざっと計算すると、孫悟空は天竺への旅を終えてからおよそ700年ほど中国大陸のどこかで暮していたことになる。

驚異的な長寿であるが、これも孫悟空が仙人であることを考慮すれば当然と言えるのかもしれない。

孫悟空の正体

斉天大聖の墓が発見されたことにより、孫悟空が実在したことは歴史的事実として確定した。

そうなると『西遊記』で語られた数々の物語を合理的に解釈しなおす必要が生じる。

例えば孫悟空は「岩から生まれた」とされているが、これは正確ではない。そもそも岩から生物が生まれるはずはないからだ。

孫悟空は時空を越えて「この世」に出現した特殊な生命体なのだ。時空を越えて現れた地点が岩山だったので「岩から生まれた」と表現されたに過ぎない。

ただし異世界の生物にも寿命はある。

孫悟空が道術の修行によって驚異的な長寿を手に入れたことは事実であろう。かつての中国では、道術修行によって仙人になり、不老長寿となった人は珍しくないのだ。

仙人も通常人と同様に死亡することもある。しかし永遠の命を手に入れた仙人の死は、本当の死ではない。仙人は死後も自由に生き返ることができるのだ。

このような例も中国の歴史の中では珍しい話ではない。

つまり孫悟空は現代中国のどこかに実在する可能性も無いわけではないのだ。しかし恐らく孫悟空はすでに異世界に戻ってしまったのだろう。

なぜなら孫悟空は与えられた任務を完結したからだ。

孫悟空の任務

『西遊記』に記された物語には非常に大きな謎がある。この謎は道教文化が浸透していない日本ではあまり意識されていない。

そこでもう一度強調しなければならないのだが、孫悟空は道教が生み出した特殊能力者なのだ。

孫悟空の自称であり、後に天界でも承認される斉天大聖という名は、道教の神(あるいは仙人)としての名である。

道教の高位者がなぜ仏教徒である三蔵法師を助けたのか?

これが『西遊記』の不思議である。

実は道教と仏教はどちらも同じ宇宙の摂理を現した宗教体系なのだ。表現は違うが究極的にはどちらも同じことを説いている。

道教が仏教を助けるという『西遊記』のストーリーは、仏教と道教が実は同じものであることを示しているのだ。

中国の歴史の中では仏教と道教が覇権を争っていた時期もある。

この摩擦や対立を解消するのが孫悟空の任務だったのだ。三蔵法師の帰国によって大量の仏典が中国に伝わり、その後長い年月をかけて仏教の教えは中国全土に浸透した。

その過程で道教と仏教は融和して行くのだが、激しい対立でどちらかが壊滅的なダメージを受ける可能性もゼロではなかった。

孫悟空が元末あるいは明初まで中国に留まったのは、仏教と道教の関係性を見極めるためである。

仏教と道教の違いを超越した大きな意思が孫悟空をコントロールし、仏教と道教の対立を回避させたのだ。

そして大きな意思は、中国の宗教的状況が狙い通りの状況に落ち着いたタイミングで、孫悟空を元の世界に召喚したのである。

中国のような多民族、多宗教国家で、宗教を理由とした対立や反目が意外に少ないのは偶然ではない。

孫悟空の時代から宇宙の摂理とでも呼ぶべき大きな意思が働いている結果なのである。