降頭術の頂点である飛頭降の恐怖

飛頭降

中国南方の各省や東南アジア諸国には降頭術という呪術がある。

降頭術の中で最も難易度が高く、危険であり、多くの人にとって脅威になるのが飛頭降だ。

飛頭降の最大の特徴は、呪術の対象が他人ではなく降頭師自身であるという点だ。つまり自分で自分に呪術をかけるのである。

目的はふたつある。

ひとつは飛頭降により自分自身の呪力を強化することだ。もうひとつは永遠の命を手に入れることである。

降頭師にとって飛頭降は最高の呪術である。飛頭降によって降頭師の呪術師としての鍛錬が完成するのだ。

飛頭降のプロセス

飛頭降は最高の境地に達した降頭師だけがなしうる難易度の高い呪術である。

修行と鍛錬によって十分な法力を身につけた降頭師は、飛頭降を行う場所を慎重に選ぶ。なぜなら飛頭降を他人に見られたり妨害されたりすると、降頭師は死亡し、しかも転生もできなくなるからだ。

目立たない安全な場所を確保したら、降頭師は呪符と呪文により自分自身に呪術を働かせる。

十分な呪力があれば、降頭師の首は深夜になると胴体から分離し、空中を浮遊することができる。

胴体から分離した頭部は出会った動物の血液を吸血する。猫に出会えば猫の血を吸い、犬に出会えば犬の血液を吸うのだ。もちろん人間に出会えば人間の血を吸う。

体内の血液を残らず吸血するので、血を吸われた動物は必ず死亡する。

飛頭降が恐れられているのは、人間が襲われることが少なくないからだ。

いったん飛頭降が始まると49日間1日の空白もなく毎晩吸血を続ける必要がある。

1日でも空白が生じると飛頭降は失敗である。そして1度失敗すると2度と飛頭降を行うことはできないのだ。

49日の間に体から分離する頭部の姿は大きく変化する。

初期の段階では頭部には消化管や内臓がぶら下がった状態である。頭部から長い内臓が垂れ下がった状態で飛行するのだ。

降頭師にとっては、この状態が最も危険である。

なぜなら長く垂れ下がった腸が植物のトゲなどに絡みついて身動きが取れなくなる危険があるからだ。

動きが制限された時点で死が確定する。日が昇るまでに胴体と接続できなければ首も胴体も液状になり滅んでしまうからだ。

飛頭降の初期には、胴体から分離した頭は地上からそれほど高くまで飛ぶことができない。およそ3メートルの高さを飛ぶのがせいぜいだと言われている。

しかも飛頭降が盛んな地域では生垣にトゲのある植物を植える習慣がある。

これらの事情があるから飛頭降を成就できる降頭師は非常に少ない。

ほとんどの降頭師は太陽の光によって液状化するか、植物のトゲに絡み取られたところを現地の住民に殴り殺されるという。

飛頭降の成就者

数々の困難を乗り越えて飛頭降を成就させた降頭師は非常に危険な存在である。

なぜなら飛頭降を成就させた降頭師は、49日に1度の割合で頭部を分離して妊婦を襲い、胎児を貪り食うからだ。

飛頭降が盛んな地域では、妊婦の家族が最も降頭師を警戒している。

妊婦の夜間の外出はもちろん許されない。

さらに妊婦の部屋に降頭師の頭部が侵入できないようにするため、窓や通気口などの穴を塞ぎ、網で囲うなどのリフォームが行われるそうだ。

日本人の感覚からすれば迷信に惑わされた馬鹿げた行為のように思われるが、闇夜に首が飛び交う地域の人々にしてみれば、子供を守るための大真面目な対策なのである。

中国の一部地域では、飛頭降は現在でも「すぐそこにある」脅威なのだ。

ろくろ首と飛頭降

妖怪に興味がある方は「ろくろ首」をご存じだろう。

中国にも日本のろくろ首に相当するものが存在する。中国のろくろ首は飛頭蛮(ひとうばん)あるいは飛頭民(ひとうみん)などと呼ばれている。

ろくろ首には首が長く伸びるタイプと、首が体から分離して飛行するタイプの2種類があると言われている。

中国では首が分離するタイプが一般的であり、日本では首が長く伸びるタイプが一般的だ。

これらは実は同じであるという説がある。つまり首が首が伸びてから分離するというのだ。

しかし別物である可能性も高い。

首が分離するタイプは飛頭蛮であり、首が伸びるのは未完成の飛頭降であると主張する人もいる。

完成する前の飛頭降は分離した頭部に腸や内臓が垂れ下がっている。これを遠くから見れば、体から長い首が伸びているように見るはずだ。これがろくろ首だという説には十分な説得力がある。

飛頭降の存在を知らない人の中には、ろくろ首はエクトプラズムであるとか、幽体離脱の一種であると主張する人もいる。

これらの説を提唱する人たちは、ろくろ首というものは実際に首が伸びるのではなく、肉体から抜け出そうとする霊的な実体が可視化されたものだと考えているのだ。

実際にそのような例がないとは言い切れないが、日本の古い図に残されたろくろ首の姿は非常に鮮明だ。

エクトプラズムのように輪郭があいまいではない。

恐らく江戸時代の日本にも南蛮船などを通じて飛頭蛮が上陸していたのだろう。

空中を浮遊し生き血を啜る首の存在をイメージするだけで、戦慄を覚えずにはいられない。

今の日本に飛頭降が全く存在しないとは言い切れないのだ。