日本の妖怪「ろくろ首」
日本は中国人の目から見ても妖怪王国である。日本には実に様々な妖怪がいる。その中でもろくろ首は非常に知名度が高い妖怪だ。
実はろくろ首には2種類あると言われている。
ひとつは首が伸びる妖怪だ。通常ろくろ首と言えばこのタイプのろくろ首をイメージする人が多いだろう。
もうひとつは首が体と分離して首だけが飛行するタイプだ。
このふたつのタイプは実は同じだという説もある。つまり首が伸びた後に頭部が体から分離して飛行するのがろくろ首だというのだ。
多くの人はろくろ首はイマジネーションの産物だと考えているだろう。
しかし実はろくろ首は少なくとも古代の地球上に広範囲に実在した可能性が高い存在なのだ。
なぜなら、ろくろ首の話は中国でもかなり昔から語られているからだ。
飛頭蛮
日本のろくろ首に相当する存在は中国では飛頭蛮(ひとうばん)と呼ばれている。中国には様々な飛頭蛮の話があるが、共通点を抽出すると以下のような特徴がある。
首が分離するタイプが大多数である。
女であることが多い。
目覚めているときは一般人と見分けがつかない。
耳を翼にして飛ぶ。
首が分離する兆候として赤い筋ができる。
首が分離しているときの記憶については諸説ある。
全く記憶がないという説もあるが、記憶があるという説もある。
また飛頭蛮は意識的に首を分離するという説がある一方で、睡眠中に無意識的に首が分離してしまうという説もある。
何のために首が分離するのかについても諸説ある。
何らかの食物を捕食するためだという話は少なくない。蟹や虫を捕食するという説(後述)もあるが、人間の血液を吸血するという説なども語られている。
日本ではろくろ首は妖怪の一種であるが、中国での認識は複雑である。
現在の中国では日本からの影響で、飛頭蛮は妖怪だと考える人もいるが、かつての中国では、飛頭蛮はもともと具わった体質だという説が主流だったようだ。
落頭民と虫落
干宝(かんぽう:336年没)の『捜神記』には、三国時代の呉の武将・朱桓(しゅかん:177年から238年)と落頭民の話が記録されている。その話の概略は以下のとおりである。
朱桓の婢女の中に、夜になると頭が体から離れる女がいた。首は耳を羽ばたかせて飛び、犬の通り道や天窓を通って、部屋の中と外を出入りしていた。
ある晩、同僚の女性が夜中に目を覚まし、朦朧とした意識の中で、首がない体に布団を被せた。
朝が近づいてきた。戻ってきた首は体に布団が被さっているため、元に戻ることができなかった。首は床に落ちて苦しみ始めた。
そこへ朱桓が現れた。朱桓が布団を持ち上げると、首がない体が横たわっていた。体から離れていた首はその体と結合して元に戻った。
朱桓は気味が悪くなり、その婢女を追放した。
後に朱桓はもともとそういう性質を具えた種族がいることを知った。
南方に遠征すると首が離れる種族と出会うことがしばしばある。首が離れた胴体に銅盤を被せると、首は元に戻る事が出来ず、最終的には死んでしまうという。
干宝はこの話の冒頭で次のように述べている。
秦の時代に南方には落頭民がいた。頭だけが飛行するのだ。落頭民は「虫落」という名の祭祀を行った。この祭祀の名にちなんで落頭民を虫落と呼んだ。
この記載によれば、昔の中国には首が体から離れて飛行する種族がいたことになる。
飛頭獠子
飛頭蛮が特別な種族であるという話は東晋時代(317年から420年)の『拾遺記』にも記録されている。その概要は次の通りだ。
嶺南の洞窟の中にはしばしば頭だけが飛行する種族が棲んでいる。
頭が分離する1日前には首に赤い線ができる。
夜になると首が離れて水辺に飛んで行き、蟹や虫を食べる。
明け方には元の体に戻って来る。そのときには満腹している。
この種族は飛頭獠子と呼ばれていたそうだ。
獠子(りょうし:獠または獠人と表現されることもある)というのは、現在の湖南、湖北、重慶の境界周辺の地域に分布していた少数民族である。彼らは唐の時代(618年から907年)に大弾圧を受けて安全な南方に移住している。
飛頭蛮は獠子または獠子の一部に伝わる特異体質なのかもしれない。獠子の中に飛頭蛮がいるという話は、複数の書物に記録されているからだ。
首を飛ばす種族は獠子だけではなかったようだ。
やはり『拾遺記』によると、闍婆国(現在のインドネシア)にも首を飛ばす種族がいたようだ。
その種族は眼球に黒目がなかったというから、闍婆国の飛頭蛮は人間に近い形状をした別の哺乳類だったのかもしれない。
また王圻(おうき、1529年から1612年)の『三才図会』には頭だけではなく腕も飛ばすことができる種族がいたことが記録されている。
かつての地球上には、肉体から体の一部が分離する能力をもつヒト型の生物が多数生息していたとの解釈も成り立つ話だ。
病気としての飛頭蛮
頭が体から分離する種族がいるという話の他に、飛頭蛮は一種の病気であるという説も有力であった。
清代の医学書『対山医話』には「風夷」という薬が登場する。風夷は目が赤い黒犬である。
医食同源の漢方医学においては動物の肉も薬として利用されていたのだ。
この風夷は非常に特殊な病気の治療に用いられた。原文のまま書けば「飛頭之疾」の治療薬なのである。
言うまでもなく飛頭之疾は飛頭蛮である。
つまりある種の病気に罹ると、首が分離して飛行するのだ。飛頭蛮は特別な種族の体質ではなく、我々も飛頭蛮になる可能性があることになる。
飛頭蛮は病気であるから治療できる。日本風に言えば、ろくろ首は治せる病気なのだ。
付記
中国では昔から飛頭蛮の正体について妖怪であると考える発想が希薄であった。簡単にまとめれば次のような説が主流である。
特別な種族がもつ特徴である
生まれつきの体質である
病気の一種である
呪術の一種である
中国では怪奇現象は鬼(異界の存在)との関係で語られることが多い。それなのに飛頭蛮が鬼の仕業であるという説がほとんど見られないのはなぜだろうか?
恐らく飛頭蛮はそれほど不思議な現象とは思われていなかったのだろう。かつての中国では、南方に行けば、かなり頻繁に出くわす存在だったのかもしれない。
そうだとすれば、現在の中国や日本に飛頭蛮が現れたとしても不思議ではないのだ。