姑獲鳥
中国には怪鳥にまつわる伝説が少なくない。
例えば京極夏彦の小説で有名になった姑獲鳥(うぶめ)も中国古代の怪鳥である。
中国では姑獲鳥は夜行遊女、天帝少女、鬼鳥、乳母鳥、鬼車などとも呼ばれていた。
出産時に母子ともに死亡するなどした場合に、母親の思念(あるいは霊魂)が「この世」に残り鳥の姿に変化したものだと言われている。
姑獲鳥は子供への念が強い。だから姑獲鳥は子供をさらい、育てようとする。
姑獲鳥は犬を非常に恐れるので、幼い子供のいる家では犬を飼うことによって姑獲鳥を避けることができると言われている。
中国には姑獲鳥についての記録が多い。
複数の書物に姑獲鳥には頭が九つある記されている。また『天中記』によれば姑獲鳥には乳房があるようだ。
姑獲鳥は狙った子供の服に血をつけて目印にするので、姑獲鳥が出没する地域では、子供の服を外で干さない習慣があったようだ。
羅刹鳥
霊魂が変化して生まれる鳥は姑獲鳥だけではない。
墓地に淀んだ陰気が凝集すると羅刹鳥という鳥が生まれると言われている。
羅刹鳥は人間の眼球を好んで食べる怪鳥である。別名を薬叉(やしゃ)、修羅(しゅら)ともいう。
もともと薬叉は仏教典で夜叉または野叉とも書かれる悪鬼であるが、それと同じくらい恐ろしい存在であると考えられてきたのだ。
袁枚(えんばい:1716年から1797年)の『子不語』には羅刹鳥についての次のような話が記録されている。
清の雍正年間(1723年から1735年)のことである。
ある有力者の邸宅に花嫁行列が到着した。花嫁を見た一同は驚愕した。全く同じ花嫁が2人、駕籠の中から出てきたからである。
出発したときは確かにひとりだったはずの花嫁が2人になっていたのだ。
不思議なことではあったが、新郎は同時に2人の嫁を手に入れることができると考えて受け入れた。妾の存在が当たり前の時代であるから、このような考えも当時としては不思議ではなかったのだろう。
その夜、寝室から悲鳴が轟いた。
悲鳴を聞いて人々が駆けつけると、部屋の中は血の海であった。
部屋の中に巨大な鳥がいた。その鳥は不気味な鳴き声を残して飛び去って行ったという。
床には眼球をえぐられた新郎と新婦が倒れていた。
花嫁行列は墓地のそばを通過していた。恐らくその時に墓地に棲む羅刹鳥が新婦に姿を変えて紛れ込んだのだ。
羅刹鳥は常に鳥の姿をしているわけではないのである。
このことを示す別の話が残っている。
これはさらに古い唐代貞元年間(785年から805年)の話である。
盧という刺史(しし:地方巡察官)の父親が病没し、遺体を屋敷に安置していたときのことだ。
突然見たこともない巨大な鳥が現れ井戸の水を飲みつくした。そして井戸の中に巨大な卵を産んで飛び去ったのだ。
これを目撃した家族は気味悪く思い、井戸から卵を引き上げて全て割ってしまった。中からは大量の血が流れ出したという。
次の日になると近くの小屋の中から女の泣き声が聞こえて来た。
家族が集まって小屋の戸を開けてみると、中には18歳くらいの女がいた。家族の誰もその女を見たことがなかった。
「お前は誰だ?」と訊ねると、女はその質問には答えずに「どうして私の子供を殺した?」と言って歩き出した。
そして安置してあった遺体の近くまで来ると、遺体に手を向けた。すると遺体は挽肉のようにバラバラになってしまった。
家族が呆気に取られているうちに女は門から出て行った。慌てて後を追ったが、門の外には全く人影が見当たらなかったそうだ。
この女も羅刹鳥が姿を変えたものだと考えられている。
鴆鳥
飲鴆止渇(いんちんしかつ)という四字熟語がある。
中国ではまあまあ使われる言葉であるが、日本ではほとんど使われていない。
直訳的には渇きを癒すために「鴆」を飲むという意味であるが、差し迫った困難を間違った方法で解決しようとして、後々に発生する重大な影響を省みないことを意味する言葉である。
どうしてそのような意味になるかと言うと、鴆(ちん)が猛毒を意味するからだ。
少しのあいだだけ渇きを癒すために毒液を飲むと言われれば、四字熟語の意味も納得できるだろう。
四字熟語の中での鴆は毒を意味するが、もともとは鳥の名前である。
鴆は毒鳥であり、かつての中国では鴆から毒が作られていたのだ。そのような毒を「鴆毒」または「鴆酒」という。
鴆毒は鴆の羽から作られる。羽を酒に浸しておくと猛毒の毒液になるのだ。
鴆毒は非常に強い毒であり、飲めば直ちに死亡する。
かつての中国では毒と言えば鴆毒と言っても過言ではないほど多用されていた。鴆毒による毒殺を意味する「鴆殺」という言葉が使われていたほどなのだ。
例えば中国三大悪女のひとりである呂太后(B.C.241年からB.C.180年)も鴆毒を使っている。
呂太后は憎んでいた戚夫人(B.C.194年没)の手足を切って目をくりぬき「人豚」にした話で有名な女性だ。
この呂太后が戚夫人の子である趙王(B.C.207年からB.C.194年)を殺害するのに用いたのが鴆毒なのである。
趙王はまだ若かったとはいえ、暗殺を警戒していたはずだ。それでも鴆殺されてしまったのだから、鴆毒は無味無臭か、あるいは美味だったのかもしれない。
このような危険な毒のもととなる鴆鳥とは、どのような鳥なのだろうか?
古い記録によると鴆鳥は鷹よりも大きく、首が長い鳥だという。嘴は赤く、羽の色は紫を帯びた黒。その羽に猛毒があるのだ。
鴆鳥は毒蛇を喰らい、糞が落ちた所の石は泥のように腐るそうだ。また鴆鳥の巣の付近には草も生えず、鴆鳥が水を飲むと、その小川の生き物が死に絶えるとすら言われていた。
非常に危険な鳥であるから、鴆は駆除の対象になっていた形跡がある。
例えば『晋書』には次のような記載がある。
当事、鴆鳥を長江を越えて北方に持ち込むことは禁止されていた。それにもかかわらず石崇(せきすう:249年から300年)は鴆のヒナを都の王将軍に送った。皇帝は石崇と王将軍を赦したが、ヒナは公衆の前で焼き殺された。
人間による駆除活動の結果、鴆は絶滅した可能性が強い。
唐代の『新修本草』には「現在の物知りも知らない」という20種類の薬物が列記されている。その中に「鴆鳥毛」があるからだ。
つまり鴆は唐の時代にはすでに幻の生物になっていたのだ。
人面鳥
『山海経』によると中国には「人面鳥身」の神がいる。しかし実際には神ではなく実在する生物を神と表現したに過ぎないようだ。
なぜなら人面鳥は霊的な世界の存在ではなく、「この世」に実在した可能性が非常に強いからだ。
中国の古いデザインの中には人面鳥が頻繁に現れる。また紅山文化遺跡からは人面鳥の玉器も出土している。
紅山文化はおよそ5000年前の新石器時代の文化であり、異星人との交流を示す明確な証拠が大量に出土していることで知られている。
このことから人面鳥の性質を推理すると次のようなことが言える。
人面鳥は空を飛ぶ能力を持つヒト型の生命体であり、かつての中国大陸で人類と共存していた。つまり宇宙人そのものなのだ。
中国の古いデザインに現れる人面鳥の多くが宇宙人を表すと考えれば、人類と宇宙人が共存していたと思われる紅山文化との連続性を見て取れる。
ただしこれとは別に妖怪あるいは怪獣の一種としての人面鳥もいるようだ。
付記
当サイトは現在進行形で人面鳥についての情報を蓄積している。
現代中国に出没している人面鳥の正体が明らかになった暁には、直ちに緊急レポートを発表する予定である。