堂々巡りが終わらない鬼打牆の恐怖

鬼打牆

中国では多くの人が鬼打牆[gui da qiang]という現象を経験している。

鬼打牆は道を歩いているうちにいつの間にか元の位置に戻ってしまう現象を意味する言葉だ。この現象は夜に起きることが多いと言われている。

鬼打牆は道に迷うこととは違う。ある方向に歩き続けているはずなのに元の位置に戻ってしまう不思議な現象なのである。

科学的説明

鬼打牆という現象の存在自体は科学的にも承認されている。鬼打牆はあまりにも多くの人が経験している現象だからだ。

問題はなぜこのような現象が起きるかという点である。科学者は次のように説明している。

人の右足と左足の脚力にはわずかな差がある。通常は右利きの場合は右の脚力のほうが強く、左利きの場合は左の脚力が強い。

目標物やガイドラインがない状況下で歩き続けると、わずかではあるが脚力が弱い方に向かって進むことになる。

この動きを俯瞰して見ると、大きな円を描くように歩くことになるのだ。平均的な人を基準にすると、このときの円の半径はおよそ3キロメートルになる。

半径3キロメートルの円の円周はおよそ19キロメートルであるから、19キロメートル歩くと元の位置に戻ることになる。

これが鬼打牆が発生するメカニズムだというのだ。

鬼打牆の実例

科学的な説明には一定の説得力があるようにも思われるが、実際の体験談を聞くと全く実情の説明になっていないことがわかる。

湖南省の農村で鬼打牆を体験した人物の話を紹介しよう。

彼が小学3年生の時のことである。ある日、放課後に校舎の掃除を命じられた。掃除に時間がかかったせいで下校した時刻には辺りが暗くなり始めていた。

彼は通いなれた道を通って家に帰ろうとしたが、不思議なことにいつの間にか学校の門の前に戻ってしまった。怖くなって走り出したが、しばらくするとまた学校の門の前に来てしまった。

どうしようもなくなった彼が門の前で立ちすくんでいるうちに体に悪寒が走り意識を失ってしまったという。

帰りが遅いことを心配した彼の祖父が学校の前までやって来た。祖父は門の前で倒れている彼を発見した。

祖父に起こされた彼は泣きながら事情を説明したという。

すると祖父は事情を理解したらしく「もう大丈夫だ」と言った。彼の家系を遡ると道教修行者の祖先がいて、祖父には道術の心得があったそうだ。

小学校の過去

家に戻ると祖父は次のような話を語ったという。

彼が通う小学校はもともとはその土地の大地主の屋敷であったそうだ。その家の主は共産党政権ができる前に台湾に移住した。しかし屋敷には主の親類が残っていたそうだ。

その後、政府が屋敷を接収して農民たちの住居として利用しようとした。ところが屋敷に残っていた持ち主が手下を集めて抵抗したのである。

これに対して農民たちが集団で襲い掛かり、持ち主の首を切り落として肥溜めに捨ててしまった。

屋敷は農民たちの住居として利用されることになり、数十世帯が移り住んだ。

しかし屋敷に移住した人たちが首を切られた地主の夢を見るようになり、さらに首のない幽霊が頻繁に現れるようになったため、移住した農民たちは次々に別の所へ引っ越してしまった。最終的に屋敷は無人の廃墟になってしまったのだ。

その後、屋敷は改築されて小学校として利用されるようになった。しかし小学校の土地には首を切られた地主の怨念が残っているというのだ。

魔除けの護符

祖父は数枚の護符を作り小学校の門に張り付けた。ところがその護符はいつの間にか消えてしまった。村人は護符の効力を深く信じているので誰かが剥したとは考えらえなかった。

護符が消えた次の日、彼は黒い犬に襲われた。彼を襲った犬は今まで誰も見たことがない野犬であったという。

これを知った祖父は再び護符を作り、今度は小学校の庭に生えている大きな樟の木に貼り付けた。

その日の夜、小学校の庭で火災が起きた。護符を貼った樟の木が燃えたのである。生の木が燃えること自体が奇妙であるが、集まった村人はさらに奇妙なことに気づいた。

激しく燃えた木の根元に黒い犬の死体が横たわっていたのだ。それは彼を襲った野犬であった。

霊的現象としての鬼打牆

この話からわかることは鬼打牆は霊的な現象だということである。だからこそ鬼打牆を防ぐには道士の護符や法力が有効なのだ。

科学者は目標物が無い状態で歩くと元の場所に帰って来るというが、それは鬼打牆の本質とは関係がない。

鬼打牆は市街地でも起こるし、短距離の移動でも発生する超常現象なのだ。

このような理解は中国の一部では常識となっている。

鬼打牆は霊的な現象であるから避邪物と呼ばれる「お守り」を携帯することによっても鬼打牆を避けることができる。

また怨霊は穢れを恐れるとされているので、放尿することにより鬼打牆から脱することができると言われている。似たような話として血液を使う方法もある。

かつての道士は自分の舌の先を噛んで血を出し、血が混じった唾を吐くことにより鬼打牆から脱したと言われている。