道術の奥義としての茅山術

茅山

江蘇省南西部に茅山という道教の聖地がある。長江を挟んで南側を南茅山、北側を北茅山と呼び分けることもある。

前漢の景帝(B.C.188年からB.C.141年)の時代に、茅盈、茅固、茅衷という三兄弟がいた。

彼らは曲山(現在の茅山に相当する土地)で道術の修行を行い、奥義を窮め、道術によって多くの人たちの病気を治療した。

茅山の名は彼らの名に由来するのである。

茅山派

道教には多くの流派がある。茅山で形成された流派を上清派または茅山派という。

医学者としても有名な葛洪(かつこう:284年から364年)や陶弘景(とうこうけい:456年から536年)は茅山派を代表する道士である。

また唐代の大詩人である李白(りはく:701年から762年)も茅山派の人物として知られている。

道教の流派は無数に存在するが、その中でも茅山派は主流派のひとつなのである。

茅山術

茅山派の道術を茅山術という。もともとは玉女喜神術と呼ばれていたが、茅山派の術なので茅山術という名が定着したのだ。

現在の中国では、茅山術は道術の代名詞と言ってもよい。

中華圏の映画で道士が呪術を使うとき、その道士は茅山道士であり、その呪術は茅山術であるという設定は定番である。

茅山術はかつては人々を救う「白い」呪術であったが、現在の中国で茅山術というときは、かなりニュアンスが違う。

紀元前の茅山術は数千年の間に密教や少数民族の呪術と融合し、白だけではなく黒い呪術の側面をもつに至っている。

現在の中国では茅山術は不気味で恐ろしい呪術であると考えられているのだ。