湘西の呪術
湖南省西部一帯を湘西(しょうせい)という。
かつての湘西は山深い交通の不便な土地であった。
険しい山や深い谷によって隔てられた村落には、それぞれ独自の呪術が受け継がれていた。
だから湘西には夥しい種類の呪術が存在したのだ。その大部分は現在でも密かに受け継がれていると言われている。
湘西は中国屈指の呪術の中心地なのである。
蠱術
湘西の呪術の中で最も恐れられているのは蠱術である。
呪術師たちは蠱毒と呼ばれる毒を作る。蠱毒は単なる毒薬ではない。蠱毒は霊的な能力を秘めた呪薬なのである。
だから蠱毒の作用は医学的な治療では治すことはできない。
通常は蠱毒を作った呪術師だけが蠱毒の作用を解くことができる。
もちろん優れた呪力を持つ呪術師であれば、他の呪術師が作った蠱毒の作用を消滅させることも可能だ。
しかしそのような呪術師は多くはない。
だから蠱毒の餌食になった人は、蠱毒を放った呪術師の言いなりになるか、あるいは苦しみの果てに死ぬしかないのである。
蠱毒の作り方
日本では100種類の毒虫を同じ容器に入れて殺し合いをさせ、最後に生き残った1匹が蠱毒になるという話が知られている。
しかしこの方法は一例に過ぎない。実は蠱毒の作り方は呪術師ごとに違うのだ。
蠱毒は毒虫や有毒の小動物を使って作られることが多いと言われている。
特に五毒と呼ばれる毒蛇、毒ガエル、ムカデ、サソリ、ヤモリは単独でも強力な蠱毒の材料になるようだ。
ヘビから作られる蠱毒を蛇蠱、毒ガエルから作られる蠱毒を蝦蟇蠱という。
森の禁忌
湘西の森の中で曲線を描くようにキノコが並んで生えていることがある。
そのようなキノコを見たら一刻も早くその土地から立ち去るべきだと言われている。
なぜならそれは蛇蠱の存在を意味するからだ。
蛇蠱の作り方のひとつとして次のような方法がある。
できるだけ毒が強い毒蛇を捕獲し、カメの中に閉じ込める。そこに動物の骨を焼いて作った灰と犬の尿を入れて蛇を殺す。犬の血を使う方法もあるそうだ。
死んだ蛇を埋めておくと数か月後に白い小さなキノコが生えてくる。
このキノコを乾燥させて粉にすると蛇蠱になるのだ。
だから蛇の形を描くようにキノコが生えていたら、その土地には蛇蠱を作る呪術師がいることを意味する。
蛇蠱は現地の人よりも部外者に対して放たれることが多い。旅行や商用で湘西の村に立ち入る人が蠱毒の餌食になりやすいのだ。
呪術師が何の面識もない部外者に蠱毒を放つのは、それなりの理由があるからだ。
蛇蠱を一度作ると、少なくとも3年に1度のペースで再び蛇蠱を作り、誰かを殺さなければならなくなる。
そうしなければ呪術師自身が死ぬことになるのだ。
しかし同じ村の人を殺せば、その村では生きて行けなくなる。そこで旅行者などが狙われるのだ。
呪力を秘めた毒蛇の死体
蛇蠱を作るためのキノコを発見した旅行者が、蛇蠱の作成を妨害するためにキノコを踏みつぶし、毒蛇の死体を掘り起こしたことがあるそうだ。
毒蛇の死体は腐っていたが、皮は残っていたそうだ。強烈な異臭を放つので谷底に投げ捨てた。
数日後、その村でひとりの老婆が急死した。
その老婆が蛇蠱を作る蠱婆だったのだろう。
蠱術が他人から妨害されると蠱を作ろうとしていた呪術師が死ぬと言われているが、これはその典型例である。
蛇蠱は呪術師自身の命を奪う非常に危険な蠱術なのだ。
蛇蠱の恐ろしさはこれだけではない。
実は毒蛇の死体を掘り出した旅行者も蠱婆とほぼ同じ時刻に急死しているのだ。
毒蛇の死体は森に埋められた時点で単なる蛇の死体ではなくなっていたのだ。それはすでに強力な呪力を秘めた呪物であった。
そのようなものに不用意に接触すると、呪力の作用を受けることになる。人を殺すために作られた呪物の作用をうけた結果が急死なのだ。
このように蛇蠱の作用は強力なのだ。
現在の湘西は観光化が進んでいる。遠方から湘西を訪れた旅行者の一部には原因不明の体調不良を訴える人がいるそうだ。
現在でも蠱毒は密かに放たれているのだ。