病殺の呪い「蠱毒」は現存する

蠱毒とは何か

中国の歴史書『隋書』には蠱毒の作り方が記されている。

百種類の生きた虫を甕に入れ、互いに捕食させて最後に生き残った虫を毒として用いる。

これが中国に古くから伝わる蠱毒のひとつの姿である。

この場合の「虫」には、昆虫などの節足動物だけではなく、毒ヘビや毒ガエルなどの小動物も含まれる。

最後にサソリが生き残れば蠍蠱になり、ヘビが生き残れば蛇蠱になる。

ところで『隋書』に記録されているのは、蠱毒の代表的な作り方の一例であり、実際には他にも様々な作り方があるようだ。

場合によっては虫ではなく木片や石や紙から作られる蠱毒もあるという。つまり無生物からも蠱毒を作ることができるのだ。

虫だけではなく木や石も蠱毒になるというなら蠱毒の本質は何なのだろうか?

そのヒントは古い医学書の中にある。

中国の古い医学書には蠱毒の作り方の他に蠱毒による病気「蠱病」の症状や治療法が記録されている。

蠱病の症状はたいていの場合に強烈な腹痛である。これに加えて皮膚の下を虫が這いまわるような感覚が生じるなどの奇怪な症状が伴うことが多い。

また小児の異常な夜泣きの中には蠱毒が原因であるケースが含まれているという。

そうした記録を眺めてみると蠱毒は通常の毒薬とは異なることがわかる。蠱毒は毒薬というよりも一種の呪いなのだ。

蠱毒には無数のバリエーションがあるが、その最大公約数的な性質を抽出すると、蠱毒とは「人を蠱病に陥らせてから殺す呪い」ということになる。

蠱毒で呪われると奇病を発症して最終的に死亡するのだ。

解蠱

蠱毒が呪いであることは蠱病の治療法からも明らかである。

言うまでもなく、通常の薬では蠱病を治すことはできない。

蠱病はニンニクやパワーストーンなど呪力をもつ薬を使って治療するのだ。また呪文や呪力を祓う儀式による治療も行われていたようだ。

蠱病を通常の病気と混同すると患者は治らない。蠱病を蠱病と見抜けなければ、患者は衰弱して死亡してしまうのだ。

だから古代の医師にとっては蠱病を一般の病気と区別することは重要な任務であった。その証拠に中国の古い医学書には蠱病の判定方法が多数記録されている。

昔の中国では医師のもとに蠱病の患者が来たときは、特別な呪術的治療を行っていたのである。呪術的治療は医学的な治療とは異なるので「解蠱」と呼ばれている。

現代中国の蠱毒

驚くべきことに蠱毒は現在の中国にも存在する。

特に南方の雲南省や湖南省などの少数民族が多い地域で盛んだと言われている。

蠱毒の盛んな土地

山深い土地の村には蠱毒を操る蠱婆と呼ばれる女性がいるそうだ。

蠱婆は数年に一度、定期的に蠱毒を使う。なぜなら蠱毒を使わなければ自分自身が呪われてしまうからだ。

蠱毒が非常に恐れられているのは、この事情が大いに関係している。

通常は呪いをかける側と呪いをかけられる側には何らかの関係がある。一方が一方に恨まれるようなことをしたとか、一方が死ぬともう一方に財産が転がり込むなどの事情があるから呪いを使って相手を殺すのである。

しかし蠱毒の場合は蠱婆が自分自身が呪われることを避けるために蠱毒を使うのだから、呪いをかける相手は誰でもよいのだ。だから蠱婆と蠱毒の被害者とのあいだに何の関係もないことが多い。

被害者の立場からすれば、ある日突然、何の前触れも予兆もなく蠱毒によって呪われる可能性があるのだ。

雲南省や湖南省の農村では現在でも心身の異常が生じると、それが通常の病気なのか蠱毒によるものなのかを判別して対処方法を変える習慣があるという。

現代中国の検蠱と解蠱

蠱病と一般的な病気を区別する方法を検蠱という。

雲南省や湖南省の農村では、民間人でも検蠱の方法を知っているそうだ。

検蠱の方法はいくつもある。

その中でも患者に生のダイズを食べさせるのが最もよく使われる方法である。

通常、生のダイズを食べると青臭い独特な味を感じる。決して心地よい味ではない。しかし蠱毒の被害者は味覚が変化し、生のダイズを美味だと感じるようになるのだ。

湘西の農村

通常の病気なら医師に治療を依頼することになるが、蠱病の場合には医師は頼りにならない。現代中国の医師は蠱病を迷信と考えているので呪術的な治療は行わないからだ。

そこで別の手段で解蠱することになる。

蠱病には軽症から重症まで程度の差があり、軽症ならば一般の人たちでも解蠱することができる。

例えば家の外にまな板と包丁を持ち出して、大きな音が出るように包丁でまな板を叩く。こうすることによって軽い蠱病なら解蠱することができるのだ。

しかし重症の場合は一般人の手には負えない。

このような場合は仙娘、巫師、風水先生、法師などと呼ばれる特別な能力をそなえた人たちに解蠱を依頼するのだ。

解蠱の方法はそれぞれの能力者ごとに異なる。

ある能力者は呪術的な儀式を行って解蠱する。また別の能力者は呪力を秘めた特別な薬を使って解蠱するのである。

解蠱と鶏卵

解蠱のためには蠱毒の種類や性質を判定することが不可欠であるという。この判定のためには鶏卵が使われることが多い。

例えばある仙娘は生の鶏卵を被害者の枕元に置き、所定の儀式をを行う。そうすると卵の中に小動物の影が現れるのだ。その影から蠱毒の種類を特定するのである。

また別の巫師は茹でた鶏卵を用いる。一定の儀式の後で卵を割って薄く切ると、その断面に蠱毒の性質を示すビジョンが現れるのだ。

このビジョンは特別な能力者にだけ見えるものであり、一般人にはただの白い断面にしかみえないという。

驚くべきことに特殊能力者たちの呪術には確かに効果があるという。強烈な腹痛が治る場合もあるし、小児の異常な夜泣きがおさまることもあるというのだ。

呪術による害を呪術により取り除く怪奇。

近代化を遂げたはずの現代中国には、いまだに呪術と呪術のせめぎあいが存在しているのである。