首吊りの木に現れる花魄の不思議

霊魂と鬼

中国では自殺や事故死した人の霊魂は転生することができず、死亡した土地を彷徨い続けると考えられている。日本の地縛霊と似た考え方が中国にも存在するのだ。

土地に縛られた霊魂は中国では通常「鬼」と呼ばれる。鬼は人間を殺すことにより転生できると言われている。ただしその土地から鬼が消えるわけではない。殺された人間の霊魂が鬼となってその土地を彷徨うことになるからだ。

新たな鬼は別の人間を殺して転生しようとする。だから一度事故が起きた土地では何度も繰り返して事故が起きるのだ。

ただし土地に縛られた霊魂が常に鬼になるわけではない。いわゆる妖精のような無害な存在になることもあるのだ。そうした存在の中には人間を殺さなくても転生する例もあるようだ。

土地の霊的な性質

中国人の観念によると、それぞれの土地には霊的な磁場のようなものが存在する。それを風水学は気や砂などと呼ぶ。

霊的な磁場が異なることによって、その場で死んだ人間の霊魂が鬼になることもあれば無害な妖精に姿を変えることもあるのだ。

中国人が昔から霊的な「場」の性質を重視するのは、陰に籠った土地では全てがマイナスのベクトルをもつからだ。霊魂は鬼となり運気は下降する。

そのような「場」の性質を好転させる存在がいくつもあるとされている。神廟や寺院などがその典型であるが、古い樹木もそのひとつなのである。

小さな美女

江西に婺源(ぶげん)という土地がある。景徳鎮に近い歴史の長い街だ。この街に謝という名の学生がいたそうだ。

ある日のことである。

目を覚ました謝は聞いたことのない鳥の鳴き声を耳にした。どんな鳥かと思い、林に入って声の主を探すと、意外にもそれは鳥ではなかった。

驚くべきことにそれは身長が15センチほどの美女だったのだ。体毛はなく肌は玉のように白く滑らかであった。

謝はその「美女」を持ち帰って鳥籠の中に入れた。

その「美女」は怖がる様子もなく、何かをしきりに話すのだが、何を話しているのか謝には全く理解できなかった。

数日すると、その「美女」は乾物のようになって死んでしまった。

当時の学生には博学の人士との人脈があった。ある物知りにこの話をすると、次のようなことを教えてくれたそうだ。

意外な正体

その美女の正体は花魄(かはく)である。同じ樹木の枝で3回首くくりが発生すると、死んだ人の恨みが凝集して花魄になる。花魄は干からびて死んだように見えても水をかければ生き返る。

この話を聞いた謝は花魄に水をかけてみた。すると花魄は本当に蘇ったのである。花魄の正体が霊魂である以上、死ぬということはあり得ないのだ。

この噂が広がると多くの人がひと目見ようと押しかけてくるようになった。花魄などというものは非常に珍しいものであるから、娯楽の少ない時代にこのような結果になるのは当然であった。

この状況は、もともと勉学を本分とする謝にとっては不本意だったはずだ。当時の勉学とは科挙に合格するための受験勉強を意味する。趣味の学問とは異なり、計画通りに学習を続けなければならないのだ。

さらに別の懸念もあった。人の恨みが変化した花魄などを手元に置いておくと、妙な噂が立つ惧れがあった。

死んだ人との関係を取り沙汰されたり、花魄を使った呪術の噂を立てられたりすると非常に厄介なことになる。当時は呪術や妖術の類は厳しい取り締まりの対象になっていたからだ。

結局謝は花魄をもとの木の枝に戻すことにした。

花魄を木の枝の上に置くと突然大きな怪鳥が現れ、花魄をくわえて飛び去ったそうだ。

本来なら首を吊った木の周囲に縛られているはずの魂が土地の束縛から解放されたと見るべきであろう。

言うまでもなく怪鳥の正体は霊魂を冥界に連れ去る使者であったのだ。