兵馬俑に塗り込められた遺体

中国古代の殉葬

古代の中国では王の墓に殉死した臣下や侍女を葬る風習があった。

『墨子』によれば天子が死ねば多い場合は数百人が殉葬され、少ない場合でも数十人が殉葬されたという。

将軍クラスの人物が死んだときは数十人から数人が殉葬されたようだ。

殉死には自主的な殉死もあるが大多数は強制であった。

強制的な殉死には2種類ある。

生き埋めにする生殉と、殺してから殉葬する殺殉である。

生殉と殺殉では圧倒的に殺殉が多い。

例えば殷の時代の墓からは大量の殉死者が発見されている。その多くは未成年で頭や手足が切断されている者が多く、刑具で拘束されている例も少なくない。

後の時代になると絞首、毒薬により殉死者を殺害した例もある。

殺害された殉死者はイヌの骨と一緒に埋められたようだ。特に殷の時代にこのようなケースが目立つ。また墓の主の周囲に埋められたり墓道に埋められることもある。

また殉死者の様子について清の時代の袁枚(えんばい:1716年から1797年)は『秦中墓道』という話を記録している。それは次のような話だ。

孫という名の人物が水路を掘っていたところ石の門を掘り当てた。その門を開くと墓道が現れた。中に入るとふたつの棺があり、左右の壁には男女数人の死骸が釘で固定されていた。

釘で固定されていた死体は殉死者であると考えられている。わずかに残っていた服の切れ端から性別が判断できたようだ。

殺殉と比べると生殉はさらに残酷である。殉死者は暴れないように手足を縛られたうえで生き埋めにされたようだ。

始皇帝陵の兵馬俑

古代に一世を風靡した殉葬の風習は戦国時代(B.C.403年からB.C.221年)に徐々に下火になったと言われている。

その後の中国で殉葬が完全に消滅したわけではない。実際には盛衰を繰り返しながら清の時代まで行われていた。

ただし古代の殉葬と後の時代の殉葬は様相が異なる。

後の時代の犠牲者はほとんど後宮の女性たちであった。男性の殉死者を含めた大規模な殉葬は紀元前の段階ですでに廃れつつあったのだ。

その代表例として挙げられるのが秦の始皇帝の陵墓である。

始皇帝陵からは有名な兵馬俑が発掘された。始皇帝は本物の人間を殉葬するのではなく、人間をかたどった焼き物を埋めていたのだ。

殉葬は死後の世界を信じる者たちの呪術的な風習である。兵馬俑を作らせた始皇帝は迷信から自由な進歩的な人物だったのだろうか?

中国史に詳しい人なら始皇帝が仙人に憧れ、不老長寿の薬を探し求めていたことをご存じだろう。

生前の始皇帝は超能力を信じ仙術を信奉する人物であった。むしろ死後の世界や生まれ変わりを信じていた可能性が強い。

兵馬俑の謎

始皇帝は死後の世界を信じていた。だからこそ死後の魂を守護する兵馬俑を作らせたのだ。

多くの人はこのように考えている。

しかしこれは奇妙である。焚書坑儒のエピソードでも知られるように、始皇帝は遠慮なく我を通す性格の皇帝であった。

もしも本当に死後の世界を信じていたなら、焼き物などではなく本物の人間を殉葬させたはずだ。気の毒だからとか、他人の評価を気にして遠慮したとは考えられない。

では始皇帝にとって兵馬俑とは一体何なのだろうか?

この疑問に対してある不気味な解釈が囁かれている。それは活人俑(かつじんよう)の存在だ。

活人俑

兵馬俑の「俑」は「木や陶器で作られた副葬するための人形」を意味する。しかし活人俑は木や陶器で作られるものではない。作り方は次の通りだ。

人間の死体をガーゼのような薄い布でくるみ、その上から粘土を塗る。そのまま窯で焼くと中に死体が詰まった陶器の像ができる。この像に彩色したものが活人俑だ。

このような作り方をすると実際の人間よりも大きな像ができてしまいそうだが、粘土の層は薄く、焼成することで焼き締まるので、実際には原寸大の大きさになるそうだ。

このようにして作られた活人俑が始皇帝陵の兵馬俑には多数含まれているというのだ。

事実上の殺殉

活人俑は外見は陶器であるが中には死体が入っている。この死体は誰かを殺して調達したものなのだ。つまり活人俑を作ることは実質的には殺殉と同じことなのである。

しかも活人俑を作ることによって殉葬の事実を隠蔽することができる。

始皇帝の時代にはすでに殉葬の習慣は廃れつつあった。しかし始皇帝が大規模な殉葬を命じれば再び殉葬の習慣が広がる可能性があった。

そうなると多数の殉死者によって守られる自分自身の優位性が崩壊する。そこで始皇帝は実際には殉葬を行いつつ、その事実を隠蔽したのだ。

始皇帝ならこのくらいのことは平気でやってのけるであろう。

霊的な存在としての活人俑

活人俑には不気味な霊力があるとの証言も得られている。それは陝西省の盗墓賊の体験談だ。

あるとき彼らは古い墓があると睨んだ地点を何か月もかけて掘り進んでいた。しかし目論見が完全に外れてしまい、たったひとつの俑の頭部だけしか掘り当てることができなかった。

俑の頭部だけでも骨董としての価値はある。彼らはその頭部を持ってトラックに戻った。トラックの中で仮眠をしてから引きあげるつもりであった。

しばらくすると仲間のひとりが窓の外に人影が動いているのを発見した。

彼らが一番恐れているのは警察だ。全員が息を殺して人影の動きを見ていると、その人影は徐々にトラックに近づいてきた。

人間の動きにしてはぎこちなく、しかも非常にゆっくりしていた。まるでロボットのようであったという。

警察ではないと見切ったひとりがライトの光を向けた。

それは首が落ちた俑であった。俑が首を取り返しに来たのである。盗墓賊は慌ててその場から逃げ出したそうだ。

盗墓賊は活人俑の頭部を盗んでしまったのだ。

活人俑には間違いなく殺された人間の魂が封じ込められている。