陝西省の大量殺人の村

陝西省の小さな村

陝西省の省都・西安の東に、人口およそ800人の王墹村[wáng jiàn cūn]がある。

1983年から1985年にかけて、この小さな村の付近で、不気味な失踪が相次いでいた。ひとり、またひとりと、村人が姿を消していたのだ。

失踪者の家族は公安に通報していた。しかし公安はこの通報を軽視していた。

成人の失踪は事件とは限らない。豊かな生活を求めて都市に移住した可能性もあるからだ。

公安が通報に対して適切な対応を怠ったことが、被害を拡大させるひとつの原因になったと言われている。

家族の努力

失踪者の中にDという40歳の男性がいた。

Dは兄と一緒に街に仕事に出かけ、いったん別行動をすることになった。

しかしDはそのまま姿を消してしまったのだ。その後数日間、兄はDを探し続けた。

再び街に出かけて弟を探している時に、親戚の男性と偶然出会った。

弟が10日以上の行方不明だと言うと、親戚の男性は驚いた様子で思いがけない話を語った。

2日前にDの名が記された引換券を持った男が、現金を受け取りに来たというのだ。

なぜDの引換券を持っているのかと訊ねたところ、その男は借金のカタとしてDから引換券を受け取ったと答えたそうだ。

その男の連絡先は記録されていた。44歳のLという男だった。

兄は親戚の男性を証人として伴い、公安の派出所を訪れた。

Lは弟の失踪に何らかの関りがあるはずだと主張していると、ちょうどそこに自分もLを探しているという男が現れた。

その男は次のように語った。

自分たちは西安から村に帰る途中で、西関のバスターミナルでLに出会った。

Lは「良い仕事がある」と言って自分たちを誘った。一緒にいた仲間のうちJだけが誘いに乗ってLについて行った。

それ以来、Jの行方がわからないというのだ。

知らせを受けたJの兄は休暇を取って出稼ぎ先から帰ってきた。何度も公安に捜索を頼み、自分でもJを探していた。

Jの家族が数か月ものあいだ捜索を続けた結果、Lという男が西関駅付近に何度も現れていることを突き止めた。

そしてLが連れ去ったとみられる人間はJだけではないことも判明していた。

家宅捜索

ふたつの失踪事件が、いずれもLと何らかの関係があると判明した。

このときになって公安はようやく重い腰を上げたのである。

Lは本名を使っていたこともあり、住所や素性はすでに判明していた。

Dの兄とJの家族からの通報を受けて、公安はLの自宅を捜索した。

Lの家の裏庭は「ゴミ屋敷」のような状態になっていた。地面が見えないほど雑多なガラクタが散乱していたそうだ。

それに加えて悪臭が漂っていた。

死体遺棄現場を経験したことのある公安の職員には、それが死体の腐敗臭であることは明らかであった。

案の定、うずたかく積まれた麦わらの下から2体の遺体が発見された。

そのうちの一体はDであった。しかしもう一体はJではなかった。16歳くらいの男性の遺体だったのだ。

この発見を受けて、日を改めて大規模な家宅捜索が行われた。

すると肥料の空き袋の中から別の遺体が発見された。しかしその遺体もJではなかった。50歳くらいの女性の遺体だったのだ。

大量殺人の証拠

付近の住民の証言により、Lの自宅付近には大根を保存するための大きな穴があったことが判明した。

捜索が行われた時点で、その穴は埋められていて、白菜畑になっていた。

わざわざ作られた保存用の穴を埋めてしまうのは不可解である。

公安が白菜畑を掘り起こすと、予想通り、何層にも積み重ねられた遺体が現れた。

この発見により、他の場所にも遺体が埋められている可能性が浮上した。

Lの自宅周辺の土地が調査の対象になり、結局合計3か所から複数の遺体が発見されたのである。

大規模な捜索は大きなニュースになり、1週間のあいだに10万人もの見物人が村に殺到したと言われている。

この捜索によって、最終的に男性の遺体31体と女性の遺体17体が発見された。

異常な供述

Lの供述により、犯行の手口が明らかになった。

Lはバスターミナルなどで対象者を物色し、「良い仕事がある」あるいは「無料の宿泊施設を提供する」という話を持ち掛け、自宅に連れ帰っていた。

夜になって被害者が熟睡すると、農具を使って頭部を強打し、刃物で心臓や首を切ってとどめを刺していた。

1度に夫婦と子供ひとりの3人を殺害したこともある。家族で出稼ぎに出た一家だったのだろう。このような場合はLの妻も殺害を補助していたようだ。

体力を奪って熟睡させるために、Lは自分の妻に被害者と性交させたこともあった。

Lの妻には知的障碍があった。妻はLに命じられて殺害や死体遺棄を補助していたようだ。

しかし妻には犯罪の恐ろしさを認識する能力はあったようだ。妻は自宅を非常に恐れていた。家に帰りたくないと叫ぶ姿が付近の住民によって目撃されている。

またLが連続殺人に手を染めるようになってから、妻の叔父が代筆した離婚を求める訴状が提出されたこともある。

理由はLの「虐待」であった。その虐待の内容は殺人死体遺棄、さらには他人との性交の強要だったのだ。

しかし訴状にはそこまで具体的な事実は書かれていなかったようである。結局当局はこの訴状を認めなかった。

話をLの犯行に戻そう。

Lは死体の所持品や衣服を剥ぎ取り、髪の毛も切り取っていた。被害者たちの髪の毛は、家宅捜索の際にベッドの下から発見されている。どこかへ売り捌くつもりだったのだろう。

Lが殺害したのは貧しい人たちだったから、金銭的な被害は微々たるものだった。

殺人の動機について、Lは意外な答えをしている。

金銭が目的ではなく、国家のために障碍者を除去するのが目的だったというのだ。

Lには「三不殺」という独自のルールがあったそうだ。「三不殺」の「三」とは次の3タイプの人たちだ。

科学者
公務員
技術者

Lはこれらの人は殺さないと決めていたと言うのだ。

確かに被害者の中に障碍者が含まれていたが、そうでない人も含まれている。

障碍者を除去するという動機は信用できない。

大量殺人の犯人の中には、殺人への衝動が肥大化している人間がいる。

Lも人を人を殺してから数日経つと、ノドに何かがつかえたような気分になると供述している。そして再び誰かを殺したくなるのだ。

Lの大量殺人の動機は「殺したいから殺した」に尽きると言ってよいだろう。

取り調べを行った担当者の証言によれば、Lには後悔している雰囲気は全くなかったそうだ。

Lの人物像

Lが6歳の時に母親が死去した。父は跡継ぎであるLを甘やかして育てたようだ。

しかし学校では目立たない存在であった。教師も同級生もLを軽く見ていたという。

文化大革命の時期にLは紅衛兵を組織して人生の絶頂期を迎えた。

しかし文革が終わると、もとの目立たない青年に戻った。

Lの学力は並み以上であったようだが、体力が乏しかった。当時の農村ではこのような青年はバカにされていたようだ。

1977年の冬にLは知的障碍のある女性を自宅の2階に監禁する事件を起こしている。

この事件は警察沙汰にはならなかったが、地元の「民兵」が女性を解放したというから、村落のルールによる私的な制裁を受けたのであろう。

この事件の翌年にLは友人の紹介で結婚している。脳膜炎の後遺症で身体にも知力にも障碍のある女性だった。

結婚の後、Lと村人との交流はほとんどなくなった。Lは夜と昼が逆転したような生活をしていたようだ。

村の中で孤立していたLは、結婚の数年後に大量殺人を開始したのだ。

付記

1985年9月にLは死刑に処せられた。同時にLの妻にも死刑が執行された。

Lの死刑は自業自得であるが、妻は哀れである。まともな男と結婚していれば、殺人に手を貸したり、死体が転がる部屋で生活することもなかったはずだ。

世の中には幸せな家庭がある一方で、地獄のような家庭も存在するのだ。