内モンゴルの連続強姦殺人事件

女子トイレの中

これは微笑殺手あるいは殺人狂魔と呼ばれた男に関する驚くべき実話である。

1996年4月9日の夜のことである。

内モンゴルのフフホト市内にある千里香飯店から、Yという女性が「トイレに行く」と言って出て行った。8時少し前のことである。

9時少し過ぎにYは内モンゴル第一毛紡織工場宿舎の西にある公衆トイレの中で遺体となって発見された。

Yは殺害される前に助けを求めて叫び声を上げていた。

付近を歩いていた呼格吉勒図(フグジラトゥ:以下Fとする)がこの叫び声を聞いた。

しかしFがトイレに駆け付けたときにはYは死亡していたのだ。

Fはすぐに公安に通報した。公安がYの遺体を調べたところ、Yは殺害される前に強姦されていたことが判明した。

事件を担当した公安局の馮(ふう)局長は、事件を通報したFが犯人であると断定した。

犯人がわざわざ公安に通報するとは考えにくい。

しかしFの証言によると、Fが叫び声を聞いてからトイレに駆けつけるまでのわずかな時間にYが死亡したことになる。そのようなことはあり得ないとは言えないが、確かに不自然ではある。

結局Fは強姦殺人の罪で起訴され、事件発生からわずか61日後に死刑判決が下った。死刑は直ちに執行された。

日本では死刑判決が下されても執行まで何年もの猶予があることも珍しくない。しかし中国では死刑は直ちに執行される。それが中国の流儀なのだ。

内モンゴルの少女

上記事件からおよそ4年後の2000年5月に、やはりフフホトで凶悪な犯罪が行われた。

東古楼村の民家に何者かが侵入し、12歳の少女を強姦して殺害し、金品を奪って逃走したのだ。

犯人は民家の中にあったコップを使って水を飲んでいた。そのコップには指紋が残されていた。

公安は被害者の家族と何らかの交流がある2000人以上の指紋をコップに残された指紋と照合した。

しかし同じ指紋をもつ人物は発見されなかった。顔見知りの犯行ではなかったのだ。

犯人の手掛かりがつかめないままこの事件は事実上迷宮入りしてしまった。

5年後の犯罪

少女の強姦殺人事件から5年が経過した。

内モンゴルのウランチャブ市で連続強姦事件が発生した。

そのうちの1件は昼間の犯行であった。

ある女性がタクシーに乗り、人通りの少ない道路に差し掛かったところで、タクシーの運転手が刀で女性を脅迫して強姦したのだ。

通報を受けた公安が該当するタクシーを調査したが、タクシーの所有者は女性であった。何者かがタクシーを盗用したのだ。

同じ日に死体発見の知らせが入った。

畑の糞坑(こえだめ)の中に女性の死体が捨てられていると言うのだ。

公安の調査によって、その女性は強姦された後に殺されていたことが判明した。そしてその女性こそがタクシーの所有者だったのだ。

その5日後、またも強姦殺人の被害者が発見された。

遺体に残された体液の鑑定により、これらの事件の犯人は同一人物であることが判明した。

DNA鑑定で判明したのはそれだけではなかった。5年前に起きた少女強姦殺人の犯人も同一人物であることが判明したのだ。

殺人狂魔の正体

公安は生き残った被害者の協力で似顔絵を作成し、事件が発生した土地を中心に聞き込み捜査を開始した。

その捜査によって被疑者であるZが浮かび上がったのだ。

Zはウランチャブ市出身であるが、その時点ではフフホトの幼稚園で働いていた。ウランチャブ市とフフホトは連続強姦殺人が起きていた土地である。

2005年10月、公安はZの身柄を確保した。

Zは身長160センチの小柄な男であった。外見は凶悪な犯罪者とは程遠かった。しかも常にほほ笑みを浮かべていたという。

Zには兄と妹がいて、離婚した妻との間には子供もいた。

しかし「人は見かけによらない」のだ。Zはおよそ10年ものあいだ強盗、強姦、殺人を繰り返していたのだ。

幼稚園で働く人のよさそうな男の凶行。これだけでも驚きである。しかしこの事件にはさらに驚くべき展開が待っていた。

冤罪事件の告白

2006年12月05日、収監されていたZは驚くべき文書を提出した。

1996年にフフホトの公衆トイレでYを殺したのは自分だと告白したのだ。

冒頭で紹介したように、この事件の犯人として、すでにFの死刑は執行されていた。だがFは冤罪で死刑に処せられていたのだ。

この告白の時点で事件現場となった公衆トイレはすでに取り壊されていた。現場を再確認することはできなかった。

しかしZの告白は克明かつ明瞭であり、裁判の引き延ばしを狙った嘘ではないことは明らかだった。

この告白によりFの裁判が再開され、無罪判決が確定した。Fの遺族には国家賠償が支払われている。

なお、事件の通報者であるFを犯人だと断定した馮局長は、後に巨額の収賄事件で検挙され、失脚した。

Fと馮局長には個人的な遺恨はなかったようだ。なぜ馮局長はFを犯人だと断定したのだろうか?

恐らく事件を処理するために適当に罪を被せたのだろう。要するに一種の怠慢である。

もしも冤罪であることが暴露されなければ、Fは永久に強姦殺人犯人の汚名を被せられ、Fの遺族は強姦殺人犯人の家族として後ろ指をさされることになっていたのだ。

このようなケースは他にもあると思われる。シリアルキラーも怖いが、冤罪も同じくらいに恐ろしい。