青少年の大量失踪と酒に漬けた眼球の狂気

消えた実習生

雲南省の省都・昆明の中心部から40キロほど離れたところに晋城鎮という土地がある。

40キロと言えば東京なら都心から青梅までの距離よりも近い距離だ。

晋城鎮はそこそこの規模の街であるが、中心部から少し離れれば人口密度が低い森林地帯になる。これも東京の青梅周辺に似ていると言えよう。

晋城鎮に南門村という小さな村がある。

南門村

2012年のことである。

建設関連会社の実習生Hは会社の社員とともに南門村を訪れた。村内の工事現場を調査するためである。

4月25日の朝8時ころ、大溝辺という土地の工事現場に到着した一行は、必要な書類を宿舎に忘れて来たことに気づいた。

現場から宿舎まで徒歩で20分ほどかかる。このような場合に新人が動くことになるのは日本も中国も同じである。当然、実習生のHが宿舎に書類を取りに行くことになった。

往復で40分の距離だ。どれだけ待ったとしても1時間はかからないはずであった。しかしHはいつまで経っても戻って来なかった。

社員が電話をかけたが応答はなかった。電話を宿舎に置き忘れたのかもしれない。高々20分の道のりだ。探せばすぐに見つかるはずである。

一同は現場と宿舎の間を捜索した。

しかしHを発見することはできなかった。小さな村のどこかへHは忽然と姿を消してしまったのだ。

連続失踪事件

連絡を受けたHの母親が失踪当日の晩に南門村に駆け付けた。母親次の日から村で聞き込みを開始した。

その結果、Hはいったん宿舎に戻りその後ですぐに工事現場に向かったことが明らかになった。

現場に戻るときに近道である山道に入ったことが判明したため、社員たちはその山道の周囲を捜索した。しかしやはりHは発見されなかった。

聞き込みを続けるうちにHの母親は徐々に南門村の不気味な実態を知ることになった。

南門村では5年前から断続的に失踪事件が起きていたのだ。

失踪者の情報提供を求めるビラ

Hが南門村に来た時点ですでに80名以上が失踪していた。

失踪者の年齢は12歳から22歳。ほとんどが10代後半から20代前半の若者であった。Hはちょうど20歳であった。不気味な連続失踪者の条件に合致していた。

小さな村で80名もの若者が失踪すれば通常は大問題になるはずだ。失踪したのは家族も見放すような不良青年だったのだろうか?

聞き込みを続けると、失踪者の家族は例外なく警察に相談していたことが明らかになった。しかし警察が事件として立件していなかったのだ。

14歳以上の失踪は自主的な離村の可能性があり、事件として扱うことはできないというのが理由であった。

しかし実際には12歳の少年が失踪したケースも放置していたため、警察は後に叱責を受け、幹部が責任を負うことになった。

ただしこの時点ではまだ誰も、この失踪の背景に中国全土を揺るがす大事件が隠されていることに気がついてはいなかった。

闇工場の強制労働

Hの失踪は明らかに不可解であった。他の失踪者とは異なり「自主的な離村」という解釈は成り立たない。

母親の働きかけによってこの事件は世間の注目を浴びることになった。それと同時に南門村で失踪事件が相次いでいることも広く知れ渡ったのである。

警察はようやく専従班を組織して捜査を開始した。

警察はこの事件の解決は容易であると考えていた。事件が発生した時点で警察にはすでに十分すぎる手がかりがあったからだ。

H失踪の2ヶ月前のことだ。

南門村で耳を疑うような事件が発覚していた。地元のヤクザが若者を監禁してレンガ工場で強制労働をさせていたのだ。

ひとりの青年がこの工場から逃げ出して告発したため、警察はレンガ工場の実態を把握していた。そこには31人が監禁されており、ほとんどが20歳前後の若者なのである。

このような証言があったにも関わらず、地元の警察は工場を放置していた。警察と闇勢力の力関係がうかがえる話である。

警察はHがレンガ工場に監禁されている可能性が高いと考えていた。

しかしもうひとつ気になる情報があった。それはある危険人物についての話だ。

南門村には15歳のときに人を殺して無期徒刑の判決を受け、その後減刑により出所したZという人物が住んでいた。

Zは路上で突然子供の首を絞めるなどの不審な行為を行っていたことから、村びとからは以前から失踪事件に関係しているのではないかと疑われていたという。

付近の住民は警察に対してZを調べるよう要求していたが、確固たる証拠があるわけではなかったので、警察は取り合わなかったそうだ。

80名もの失踪者の中にはZが関与しているケースも無いとは言えない。そうだとすればHの失踪にZが関与している可能性もゼロではないのだ。

しかし警察はレンガ工場の摘発を優先させた。

逃走した人物の証言どおり、監禁した若者たちに強制労働をさせるレンガ工場は実在した。警察はこの工場を包囲し首謀者を逮捕した。

しかし開放された人たちの中にHの姿はなかった。

ただし解放された青年たちの証言によれば自力で脱出した労働者は何人もいたという。その中にHが含まれている可能性も無くはないのだ。

連続殺人

レンガ工場でHが発見されなかったため、警察は次の候補であるZの自宅を捜索した。

Zの自宅内はあまりにも悲惨であった。

当時、地元政府は報道を規制したほどである。しかしひとりの記者が微博(中国版twitter)で次のような情報を暴露したのだ。

南門村の連続失踪事件の真相は、Zによる連続殺人事件である。遺体は解体され食用にされていた。食べ残した肉は販売されていた可能性がある。

犠牲者は少なくとも20名以上。ただし発見された靴は50足との情報もある。

報道の規制が及ばない香港では、Zの自宅内に人肉が吊り下げられていたことや、眼球を漬けた酒が発見されたとの情報が流された。

さらに飼っていた犬を人肉で育てていたとの報道も注目を集めた。

犠牲者の中にHは含まれているのか?

Hの母親は工場に拉致されたことを願っていたに違いない。工場に監禁されていたなら、まだ生きている可能性が残されているからだ。

しかしDNA鑑定の結果は非情であった。Z宅で発見された死体のDNAとHのDNAが一致したのだ。HはZに殺されていたのだ。

2012年7月。Zには死刑判決が下り、翌2013年1月に死刑が執行された。