経絡とは何か
人体には経絡という気の流れ道がある。
もう少し詳しく言うと、経絡は経脈と絡脈の総称である。
気は経脈という主要な通路と、絡脈という網の目のようなネットワークによって、人体の隅々にまで運ばれているのだ。
日本人の多くが経絡という言葉でイメージするのは、体内を通る線状の機構であろう。しかし正確に言うとそれは経脈なのである。
経絡は現代医学が発見した血管によく似た概念である。しかし血管とは別の存在なのだ。
現在のところ経絡に相当する物理的な構造は発見されていない。解剖してもMRIで調べても、それらしきものは見つからないのだ。
そこで中国の一部の科学者は経絡は架空の存在であり、実際にはそのようなものはないのだと主張している。
ところが経絡理論に基づく治療法に明確な効果があるため、医学者の多くは経絡の存在を承認している。ただし経絡が何かを明確に理解しているわけではない。
経絡が存在すると仮定して治療を行うと、意図したとおりの効果が得られるから承認せざるを得ないのだ。
現代の先端技術を駆使しても存在を確認できない経絡を古代中国人はどのようにして発見したのであろうか?
経絡敏感人
経脈は通常目には見えない。しかし見えないはずの経脈が可視化されることがある。
経脈の一部(日本でツボと呼ばれるポイント)を刺激すると、経脈が赤く浮かび上がる特殊な人たちが存在するのだ。
場合によってはミミズ腫れに似た激しい反応が生じることもある。
このような人たちを経絡敏感人という。
経絡敏感人は非常に珍しいが、全体としてはかなりの数の症例が報告されている。
古代中国にも経絡敏感人はいたはずだ。
恐らく古代中国人は経絡敏感人を見て経脈の存在に気付いたのだろう。
皮膚に経脈が浮かび上がるのだから、人体には線状のネットワークがあると考えるのは自然の成り行きだったのだ。
経絡刺激への感度
経絡敏感人は一般人と比べて経絡刺激への感度が非常に高い。だから鍼治療の効果も明確に現れると言われている。
実は一般人の中にも経絡刺激に対して敏感な人とほとんど反応がない人がいる。
つまり経絡刺激に対する感度には、経絡敏感人を頂点としたレベルの違いがあるのだ。
この感度の違いは体内の気の状態に対する感度の違いを反映している。
言い方を変えれば、自分自身の気の状態に敏感な体質だと、経絡刺激にも敏感になるのだ。
では気とは何だろうか?
本来、気は生物や無生物に関係なく存在するエネルギーである。
ただし生物の場合には肉体に気が循環することで生命が維持されている。だから気の変調は生命の危険性を意味するのだ。
その変調を敏感に感じ取ることができれば、生命への危険性を早期に回避できる。
例えば栄養が偏り生命エネルギーが衰えて来た時、早い段階で気づく人はすぐに対策をとることができる。
「何となく調子が悪い」という感じも、気の状態に対するセンサーが働く結果なのだ。
経絡への感度は気の循環についての感度を意味する。
気は体内をまんべんなく循環していなければならない。気の循環に不均衡が生じると、特定の臓器の機能障害につながる。
例えば胃に十分な気が巡らなければ胃の機能が低下するのだ。
体内の特定の部分に気の循環異常が生じた場合、経絡を刺激することによって、その部分の気の状態を正常化することができる。これを遠隔治療作用という。
人体には手首や足首を刺激することで、内臓機能を調整できる仕組みが具わっているのだ。
自分自身の体に敏感な人は、どこを刺激すれば体の状態がどう変化するか感覚的にわかるのだ。
恐らく古代人にはそのような能力が一般的に具わっていたのだろう。
しかし人類はいつの間にか医師などの専門家に体のケアを委ねるようになり、自分で自分を守る能力が退化してしまったのだ。
人類の視力のポテンシャルが5を超えることはアフリカ人の例からも明らかだ。しかし文明社会で暮す我々は、せいぜい2が良いほうである。使わない能力はすぐに衰えてしまうのだ。
経絡敏感人は人類の気に対する感性のポテンシャルを示す好例である。本来我々は気を感覚で捉えることができるのだ。
中国の鍼灸の専門家は、気に対する感覚は後天的に向上させることが可能だと言っている。
経脈に対する刺激を意識的に行うことによって、失われた感覚が蘇ることもあるそうだ。
気の流れを感覚的にとらえることができるようになれば、自分自身の体をケアできるだけではなく、他人の体の状態も直観的に見通すことができるのだ。
中国の鍼灸師が気功などを行い、気に対する感性を高めようとするのは、必然的な流れなのである。