多民族融和の象徴「西域」のモスクたち

西域とは

かつて中国では玉門関(ぎょくもんかん)あるいは陽関(ようかん)よりも西の地域を西域(さいいき)と呼んでいた。

現在の日本では西域というよりも東トルキスタンと言ったほうがわかりやすいかもしれない。

つまり東トルキスタンは中国人の目から見ても「異国」だったのだ。

確かに西域の文化は中国文化とは一線を画している。

その特徴のひとつはイスラム文化だ。

かつて西域と呼ばれた地域には今でも多くのモスクが存在する。

モスクは宗教施設であると同時に美術作品でもある。

中華圏にはない独特の造形。そして異国情緒。さらには多くの民族が入り乱れ、共存共栄してきた歴史の象徴でもある。

多様性の承認、他者への寛容。今こそそれらの象徴である西域のモスクを鑑賞する時が来た。

エイティガールモスク

Hëytgah Meschiti
Id Kah Mosque
ھېيتگاھ مەسچىتى
艾提尕尔清真寺

カシュガルにある西域最大のモスク。最大3万人を収容できる広大な敷地面積(およそ1万6千平方メートル)を誇る。

建造は15世紀。これはカシュガルがイスラム化した時期だと言われている。

その後数回の改修を経て現在の姿になった。

観光地として有名であるだけではなく、毎日2千から3千人のイスラム教徒が礼拝に訪れるそうだ。

カシュガルは西域の中でも最も西に位置する街である。現在は中国領であるが、ここまで来るとさすがに中国の雰囲気はかなり薄まる。

クチャモスク

Kuqa Mosque
库车大寺

クチャモスクは西域で二番目に大きなモスクである。礼拝場には3000人を収容できる。

以前のモスクは1923年に焼失してしまった。現存するモスクは1931に再建されたものだ。

中国の領土の中で、唯一イスラム法による裁判が行われる施設と言われていたが、現状は不明である。

クチャはシルクロードのオアシス都市である。歴史的には様々な民族が入れ替わり支配してきた土地だ。

石油や天然ガスなどの地下資源が豊富であるが、このことが仇となり、中国政府による重点的な開発の対象地区となっている。

ウルムチタタールモスク

Tatar mosque
塔塔尔寺

ウルムチのタタールモスクは1897年に建設され、1919年に改修されて現在の姿になったモスクである。

条件付きではあるが観光客にも開放されている。また中国領内のモスクは女人禁制であることが少なくないが、このモスクは事前の同意を得れば女性も参観できるようだ。

ウルムチはかなり中国化された大都市である。古くから漢民族と他の民族が支配を争った土地である。

清(清は漢民族の王朝ではないが文化的には漢民族の国に近い)の時代に中国の支配下に入り現在に至っている。

※西域には2万以上のモスクが存在する。この記事は加筆予定である。