秦の毛人と中国の巨人

袁枚

ヨーロッパ史上最も有名なグルメと言えば『味覚の生理学』で有名なサバランであろう。ケーキの名前にもなっているほどの人物であるが、本業は法律家であった。

中国にもサバランに匹敵する食通がいる。それは清代の詩人・袁枚(えんばい:1716年から1797年)である。

この人は異例の若さで科挙に合格したが、人生の大半を官僚としてではなく、文化人として過ごしたユニークな人物である。

袁枚のグルメ本『随園食単』は、中国の食文化を語る上で欠かせない古典のひとつであり、袁枚の著作の中で最も有名な著書である。

しかし袁枚は単なる食通ではない。当時の中国のあらゆる知識に通じた博学の天才なのだ。怪奇現象にも並々ならぬ興味を抱き、怪異談を記した著作も残している。

秦の毛人

袁枚が残した著作の中に毛人についての話が何度も記録されている。特に印象深いのは「秦の毛人」の話である。

湖北省の北西部に房県という地区がある。房県には房山という山があり、房山の崖には多くの洞窟があった。

その洞窟の付近には背丈が3メートル以上もあるヒト型の生物がたくさん棲んでいたそうだ。その生物は全身に毛が生えていたことから毛人と呼ばれていた。

毛人はしばしば山から下りてきて人や家畜を喰らった。毛人から逃げようとしても、必ず捕まえられたそうだ。

しかも毛人は特殊な能力を備えていた。銃で撃っても毛人に当たる前に銃弾が落下してしまうのだ。

人間の2倍もある屈強な体格であるから、素手で立ち向かうことはできない。しかも武器が通用しないのだから、これほど恐ろしい怪物はいない。

ところが無敵にも思われる毛人に対して、非常に効果的な撃退法があったという。

「長城を築け」と言うと毛人は慌てて逃げて行くというのだ。

実際に試した人がいたそうだが、本当に逃げ出したそうだ。

なぜ「長城を築け」と言うと毛人が逃げ出すのかについては、現地に次のような言い伝えがあるという。

毛人はもともと秦の時代に万里の長城を築くために徴用されかけた人々だったそうだ。

万里の長城建設は非常に過酷な労働であった。

多くの人が徴用を避けるために山の奥に逃げたのだが、山中で暮らしているうちに月日が経ち、なぜか毛人という怪物になってしまったのである。

袁枚は清の時代の人だから、秦の時代からは2000年以上も経過している。つまり毛人たちは2000年以上も生きながらえていた怪物なのだ。

その怪物が「長城を築け」という言葉を恐れていたというのだから、始皇帝の苛政は怪物をも震え上がらせるほどのものだったといえよう。

巨人伝説

毛人は背丈が3メートル以上もあった。つまり巨人なのだ。

中国の古い書物には巨人についての記録が数多く残されている。

巨人は単に背の高い人ではなく、種族として存在していたらしい。例えば『山海経』によると巨人が住む「大人国」という国すらあったようだ。

また巨人には足だけが異様に長い長脚人や、目がひとつしかない独眼人など複数の種類が存在したらしい。

それらの多くは小国を形成していたが、国同士の戦争によって種族ごと滅ぼされてしまったため、絶滅してしまったケースもあるようだ。

ただし巨人は人類と交配していたため、現在でも巨人のDNAを受け継ぐ人がいると考えられている。

巨人のDNAは非常に稀に発現することがある。

清朝の商人である詹世釵(せんせさい:1841年から1893年)はそうした人物のひとりである。

詹世釵は福建省・福州の茶商人であった。10ヵ国語を操る語学の天才であり、後に英国国籍を取得する国際人でもあった。

しかし現在の中国では写真に写された中では世界一背が高い男として知られている。

身長は3.19メートルあったと言われている。我々の常識からするとあまりにも高い身長だ。

しかし毛人の身長が3メートルだったことを思い出して欲しい。このくらいの身長が巨人のスタンダードである可能性が強いのだ。

巨人というと架空の存在のように思われるかもしれないが、文字記録に加えて明確な画像資料がある以上、古代中国に巨人が存在したことを疑うわけにはゆかない。

そして古代中国に存在した巨人のDNAは、現代中国人のDNAの中にも確実に保存されているのだ。