謎の道術「軽身術」の不思議

賽狸猫と燕子李三

国民党時代の中国に「賽狸猫」と呼ばれた怪人がいた。ヤマネコのように俊敏な男であることからつけられた異名である。

賽狸猫の本名は段雲鹏(だんうんぽう:1904年から1967年)。河北省・徐家庄の出身である。

段雲鹏

段雲鹏は成人する以前に軍閥のひとつである直魯聯軍に参加し、7年ほどで新兵教官に昇進している。

しかし段雲鹏は突如退役し、燕子李三に弟子入りしてしまう。

燕子李三、つまり「ツバメの李三」は本名を李景華(りけいか:1895年から1936年)という伝説的な盗賊である。

李景華は武術の達人から奥義を授けられた人物である。目にも止まらないほどの速さで壁や木に登ることができたそうだ。

李景華は若いときに旅芸人のひとりとして諸国を巡っていたが、洛陽の宿で窃盗の疑いをかけられて追い出され、無一文になったため、本当に盗賊になってしまった過去をもつ。

李景華は自分を軽んじた役人や商人に反感を持っていたらしく、富豪や役人の邸宅だけを狙って窃盗を繰り返した。

「仕事」をした後には「燕子李三」と書いた紙片を残した。このため「燕子李三」が李景華の別名として定着したのだ。

段祺瑞(だんきずい:1865年から1936年)、潘馥(はんふく:1883年から1936年)、張宗昌(ちょうそうしょう:1881年から1932年)、褚玉璞(ちょぎょくはく:1887年から1929年)などの政治家や軍閥の頭目級の人物も被害に遭っている。

盗み取った金銭は賭博や遊行に使ったが、一部を貧しい人たちに配ったことから、一般庶民からは義賊とみなされていた。

李景華は警備の厳重な資産家の邸宅だけを狙って財物を盗んだ。その経験によって警備をかいくぐる盗みの成功方程式を完成させていたのだ。

優秀な弟子・賽狸猫

燕子李三に弟子入りした段雲鹏はふたつの面で優秀であった。

ひとつは武術の習得である。

もともと身体能力が優れていた上に軍隊で鍛えられていたから、燕子李三の特殊な武術を吸収するのも速かった。

師匠と同じように段雲鹏も瞬時に壁や木によじ登ることができたという。

もうひとつは頭脳だ。

盗みの成功方程式には優れた記憶力が要求される。例えば膨大な隠語を正確に記憶しなければならない。段雲鹏は相当に呑み込みが早く、すぐに頭角を現したそうである。

その後、段雲鹏は軍人時代のしがらみで軍隊に戻るが、再び独立して専業の盗賊になる。

このころ日本軍の司令官であった岡村寧次(おかむらやすじ:1884年から1966年)の公邸に侵入し、黄金や米ドルなどを盗取している。

この事件を聞いた谷正文(こくせいぶん)は段雲鹏と接触し、特務工作員としての任務を与えたといわれている。

活閻魔・谷正文

日本では谷正文の名はあまり知られていないだろうから、少し紹介しておこう。

谷正文(1910年から2007年)は北京大学出身のエリートである。

谷正文

元は共産党員であったが、後に国民党に入党し蒋介石に重用された。

中華人民共和国成立後も共産党政権を転覆させる工作を続けていた人物として有名だ。

中華圏では「地下局長」あるいは「活閻魔」の異名で呼ばれることもある。

中国では周恩来の命を狙ったカシミール・プリンセス号爆破事件(1955年)にも谷正文が関与したと言われている。

まだ台湾に逃走する以前の谷正文は、段雲鹏を動かすことによって共産党員の機密資料を多数入手したと言われているのだ。

軽身術

段雲鹏は共産党員の機密資料を盗取しただけではなく、数回に及ぶ共産党幹部の暗殺未遂を起こしている。

いくら窃盗の奥義を学んだからと言っても、警備が厳重な重要人物の住宅にそうやすやすと侵入できるはずがない。

なぜ段雲鹏は常識外れの「成果」を手に入れることができたのだろうか?

実は段雲鹏には特殊能力があったと言われている。それが軽身術だ。

軽身術は少林寺の秘伝とも言われるが、源流はやはり道家の奥義のひとつである。

軽身術を極めると体重を減少させることができる。その原理は不明であるが、確かに体重が変化したというのだ。

段雲鹏は高い壁や木の上にやすやすと登ったそうだ。この技術は師匠である燕子李三から受け継いだ窃盗術のひとつではあるが、その技術の根幹には軽身術があったと言われている。

当時の建築物の記録を辿ると、段雲鹏は最低でも7メートル、日本軍の司令部の公邸の場合は、15メートルもの壁を越えたことになる。

これだけの高さになると脚力や腕力だけで短時間に登り切ることはできない。

だからこそ段雲鹏の神出鬼没とも言うべき活動は、並外れた筋力に加えて軽身術を併用した結果だと言われているのだ。

恐らくは特殊なクライミング技術を習得していたのだろうが、工作員として優れた「仕事」を成し遂げた結果、段雲鹏には超能力があったという伝説が信じられたのだろう。

まだ盗賊に過ぎなかったころの段雲鹏には、次のようなエピソードが残されている。

あるとき段雲鹏は街の食堂で牛肉2キロを平らげ、代金を払わずに帰ろうとしたことがあったそうだ。

店の主人が「肉を2キロも食べて代金を払わないつもりか?」と詰め寄ると、段雲鹏は自ら秤に乗って「2キロの肉を食べたなら体重は2キロ以上あるはずだろう」と言った。

店の主人が秤の目盛りを見ると、1キロにも満たなかったという。

これも何らかのトリックを使ったと考えられるが、一部には段雲鹏が本当に神秘的な力を持っていたと信じている人もいる。

そうした人たちは次のように説明している。

道術の達人は意識の作用によって反重力あるいは斥力を呼び込むことができると言うのだ。

反重力や斥力は直接は観測されていないが、宇宙膨張を説明するためには認めざるをえないエネルギーである。

こうしたエネルギーの密度は意識の作用によって変化する。道術の達人はそれを自在に操ることができるようになるそうだ。

台中諜報戦

1954年9月、段雲鹏は香港の商人を装って広州に潜入した。

しかしその直後に中国の公安当局に逮捕されてしまった。

中国の諜報組織は台湾の対共産党工作の動きを察知していたのだ。

中国共産党は大陸に潜んでいる国民党支持者を特定するために、台湾に対するスパイ活動を行っていたのだ。

台湾当局は段雲鹏が逮捕されたことに気づかなかった。

中国共産党が段雲鹏の名で送って来る要請に基づいて、台湾当局は最新の武器や外貨を中国大陸に送り、共産党に横取りされる失態を演じることになる。

しかも段雲鹏の自供により中国国内の反共産党勢力の拠点4か所が摘発され、100名以上の協力者が逮捕されてしまった。

これは中国共産党のカンター・インテリジェンスが成功した最大の事件と言ってよいだろう。

この結果、共産党転覆という国民党の夢は頓挫することになったのだから。