人骨念珠の恐るべき呪力

人骨念珠とは

チベット密教の法器のひとつに人骨念珠または人骨骨珠と呼ばれるものがある。

人骨念珠は人骨から作られる数珠のようなものだ。一見するとアクセサリーのようにも見えるが、避邪駆鬼の呪力を持つ特別な呪具なのである。

材料となる骨は手の指の骨と、前頭骨の眉間の部分だけだ。

指は法具に触れる部分であることから、指の骨には霊力が宿ると考えられている。

また眉間は観想の出入り口であり「心」が宿る地点であると考えられていることから、死後も眉間の骨には特別な呪力が封じ込められているのだ。

ひとつの人骨念珠を作るのに108粒の骨が必要になる。指の骨の人骨念珠は数人分の骨があれば作ることができる。

しかし眉間の骨から作るには非常に長い時間と手間がかかる。

眉間の骨は数が少ない。さらに眉間の部分を切り取って丸く加工するのは容易ではないのだ。眉間の骨は非常に硬く、磨くのに時間がかかるからだ。

チベットには人骨念珠を磨く僧侶がいるそうだ。

そのような僧侶が一生かかっても眉間の骨を使った人骨念珠を完成させることは容易ではないという。作りかけの人骨念珠を次世代の僧侶に託し、数代かけて完成させることもあるというのだ。

不真正人骨念珠

人骨念珠は僧侶の骨で作らなければ避邪駆鬼の呪力が生じないと言われている。僧侶の骨は数が限られているから、本来の人骨念珠は非常に希少な法器なのだ。

ところが中国では数多くの人骨念珠が流通している。徳の高い僧侶の霊力を身につけたいと考える人が少なくない証拠だ。

しかしそもそも僧侶の骨から作られる人骨念珠は、一般人の需要を満たすほど多くは存在しない。

現在取引されている人骨念珠の中には、僧侶の骨以外の骨を用いたものも少なくないのではないかと疑われているのだ。

動物の骨を使った偽物は簡単に見抜かれるそうだ。だから僧侶以外の人骨を用いた人骨念珠が作られているのだ。

しかし僧侶以外の骨を用いるのは危険である。

恨みを残して死亡した人の骨や、事故死した人の骨を使うと、人骨念珠に呪いが込められることがあるからだ。

上海からの旅行客

青蔵鉄道の開通以来、中国ではチベット観光が盛んである。

チベット観光と言えばラサであるが、一部の旅行客はラサを起点にして別の街まで足を伸ばしているようだ。

2016年8月のことである。上海からの旅行者であるCは単独でメルド・グンカルに向かっていた。同行した友人が軽い高山病に罹り、起き上がれなくなったからだ。

メルド・グンカルには直貢梯寺(ディグンティ寺)がある。かつては活仏が座主を務めた由緒ある寺院だ。

直貢梯寺にはラサ発の朝早いバスで訪れることができる。

バス停で下車したCは寺に向かって歩き出した。するとひとりの老婆が近づいてきた。Cは観光地に多い物売りだと考えて足を速めた。

しかし数秒後にCは足を止めた。老婆がCの名前を呼んだからだ。

Cがチベットに来たのは初めてである。なぜ老婆は自分の名を知っているのか?

不思議に思って振り返ると、老婆は古びた念珠を差し出していた。そして「これはお前の手元に届くように運命づけられている」と言った。

値段を訊くと1000元(日本円でおよそ1万6千円)だという。もし本物の人骨念珠であれば非常に安い。

Cはその念珠を手に取って仔細に観察した。日ごろからチベットの文物について研究していたCには、それが人骨の念珠であることは一目瞭然であった。

Cは躊躇なくその人骨念珠を買い取った。

油断

夕方になり宿に戻ると、友人の体調は回復していた。

Cがいない間に友人は同じ宿の宿泊客2人と親しくなり、3人で緒にビールを飲んでいたという。

夕食の時刻が近づいていたので、Cはその3人と一緒に食事に出かけた。

現在のラサには中華料理店が少なくない。チベット料理はすでに食べていたので、4人は四川料理の食堂に入った。

同じ宿の宿泊客は、自分たちは陝西省から来た不動産業者だと言った。Cたちよりも少し年齢が上のように見えた。

彼らは次から次へと酒を注文し、自分たちのおごりだから好きなだけ飲めと言って盛んに勧めた。

高山地帯での飲酒は危険である。Cは酒には自信があったせいで、飲み過ぎてしまった。

気がついたときには宿のベッドに寝ていた。頭が痛かったので、そのまま朝まで横になっていたという。

頭痛が収まって身を起こしたとき、ようやく貴重品を入れておいたバッグが見当たらなくなっていることに気づいた。

目覚めた友人の貴重品もなくなっていた。ふたりは慌てて一緒に食事に行った宿泊客の部屋に駆け付けたが、すでに部屋は空になっていた。フロントで訊ねるとふたりは昨晩のうちにチェックアウトしたとのことだった。

幸い別の荷物の中に現金を分けておいたため、Cたちは上海に戻ることができたそうだ。

壊死

上海に戻ってからおよそひと月後に、ラサの警察からCに連絡が入った。盗まれたCの所持品が発見されたからだ。

発見されたのはラサ河上流の古い寺院の裏であったという。

そこで寺の僧侶がふたりの男の死体を発見したのだ。死体が背負っていた大きなザックの中から多くの盗品が発見されたため、地元の警察が中国各地の被害者に電話をかけて被害内容を確認していたのだ。

Cが老婆から買った人骨念珠も盗品の中に含まれていた。

しかし人骨念珠の売買に後ろめたさを感じたCは「それは自分のものではない」と答えたそうだ。

電話を切る前にラサの警察は不気味な話を言い残した。

寺の裏で見つかった死体は、なぜか両手の指と眉間の部分だけが黒く壊死していたという。