屍毒とは何か
中国では古くから死体には屍毒があると信じられている。
屍毒とは文字通り一種の「毒」である。
この毒の作用はさまざまである。
屍毒の影響を如実に示す最も有名な例は朱漆顔(しゅしつがん)であろう。
朱漆顔
朱漆顔は金の時代(1115年から1234年)に洛陽(らくよう)を荒らしまわった墓泥棒の頭目である。
朱漆顔は十数人の手下を引き連れて、宋を建国した趙匡胤(ちょうきょういん:927年から976年)の陵墓を盗掘したことがある。
墓室は大量の宝物で溢れていた。しかし欲深い朱漆顔は、棺の中にも宝物があるに違いないと考え、趙匡胤の棺を開けたのである。
すると中には趙匡胤の遺体が腐敗せずに横たわっていた。
その腰には玉帯が巻かれていた。それは精巧な彫刻を施した至宝であった。
玉帯を破損すると価値が半減する。朱漆顔は趙匡胤の遺体を抱き起してから玉帯を外そうと考えた。
しかし趙匡胤は極度の肥満体形であり、腕の力だけでは抱き起すことはできなかった。
そこで縄で輪を作り、その輪の中に遺体と自分自身の体を入れて趙匡胤の上半身を持ち上げることにした。
渾身の力を込めて遺体を引き起こそうとしたとき、突然遺体の口から黒褐色の液体が噴き出した。
朱漆顔はその液体を頭から浴びてしまった。
帰宅後に液体を洗い流したが、顔の皮膚は暗褐色に変色し、その色は死ぬまで消えなかったそうだ。
もうおわかりだろう。実は朱漆顔は本名ではない。
変色した顔の色から名づけられた異名なのである。本名は知られていないのだ。
なお朱漆顔は汴梁(べんりょう:現在の開封)で盗品を売り捌こうとしたところ、出所を怪しんだ人物に通告されて検挙されている。
その後朱漆顔は一味とともに処刑された。
死毒としての屍毒
朱漆顔の場合は屍毒によって皮膚が変色した。しかしこれだけでは済まないケースも、もちろん存在する。
泉州の農村で若い女性の土葬死体が盗まれる事件が発生したことがある。
販売目的の死体窃盗は中国では珍しい犯罪ではない。中国ではさまざまな理由から死体に対する需要が存在するからだ。
しかし泉州の死体窃盗は販売が目的ではなかった。
犯人は特殊な性癖の持ち主であった。彼の死体窃盗の目的は屍姦だったのだ。
後の証言によると、盗んだ遺体を自宅内に7日間隠匿し、性的な目的のために利用したという。犯人はその後に遺体を墓に戻している。
遺体を墓に戻して2週間ほど経過してから、犯人の体に恐るべき異変が始まった。
まず始めに全身がむくみ、身体の各所に水ぶくれができ始めた。
さらに皮膚が剥がれ落ち、筋肉や血管が露出するほどになった。不思議なことに痛みを感じていなかったという。
しかし皮膚を失った体表からは体液が滲み出し、極度の脱水状態に陥った。犯人は異変の始まりから1週間後に死亡したのである。
屍毒による中毒死である。
屍毒の正体
屍毒の正体については、劇薬説、腐敗毒説、霊障説などがある。
朱漆顔のケースは何らかの劇薬が屍毒の正体であろうと言われている。
かつての中国では、貴人を埋葬するときには遺体が腐敗しないように、特別な薬品が使われていたと考えられている。
腐敗を防止する薬品は水銀の化合物などを含む劇薬であり、その薬が直接肌に触れると大きなダメージを受けるというのだ。
確かに朱漆顔のケースは劇薬説で説明できる。
では泉州のケースはどうだろうか?
現代の中国では遺体の腐敗防止処理は一般的ではない。しかも農村の女性の遺体に特別な薬品が使われていたとは考えられない。
しかし最近の中国では比較的新しい一般人の遺体から屍毒が発生するケースが多いのだ。
例えば農村部での土地開発の際に、土葬した遺体を掘り出して火葬する作業に従事していた人が、突然幻覚に襲われたり、精神に異常をきたす例も報告されている。
人為的な薬物の使用が認められないケースでは、腐敗菌が毒または毒ガスを発生させたのではないかという意見が多い。
確かに防腐処理をしていない土葬死体は腐敗菌により分解され、毒性のある物資を発生させる可能性が高い。
しかし泉州のケースはそれだけでは説明がつかないのだ。
鬼剥皮
そもそも腐敗菌が発生させる毒に、全身の皮膚が剥がれ落ちるほどの毒性があるだろうか?
しかも犯人が盗んだ遺体は死後間もない遺体であり、ほとんど腐敗していなかったと考えられる。
さらに不可解な点がある。
皮膚が剥がれ落ちたにもかからわず、痛みを感じないというのは尋常ではない。
つまりこれは科学的な因果関係では説明し切れないケースなのだ。
実は事件が発生した地元地区では、犯人の死を鬼剥皮[guǐ bō pí]によるものだとする噂が流れている。
鬼剥皮は一種の霊障である。
霊の怒りにより皮を剥がれる現象が鬼剥皮なのだ。
死体凌辱という罪。それに対する霊の祟り。
このように屍毒には、人間界の常識を超越したものも含まれているのである。