耳杯という名の祭器
漢代の墓から耳杯(じはい)という器がしばしば出土する。木製のものが多いが陶器の耳杯も少なくない。
左右対称に耳のような取っ手が付いていることから耳杯と呼ばれるそうだ。
耳杯は後の時代にはあまり見られない。その理由として次のような説が語られている。
耳杯は古代の人頭祭祀の流れを汲む器である。漢の時代以降は古代文化の影響が徐々に薄れたため、耳杯は次第に作られなくなったのだ。
急に人頭祭祀と言われても唐突な感じがするが、この説にはそれなりの根拠があるのだ。
古代中国には人間の頭部を切り取って神に捧げる儀式が存在したのだ。
甲骨文字の時代には人間の頭部を「囟」という字で表した。この字は日本語では「しん」と読む。
囟を神に捧げることの可否を占う甲骨文が多数出土しているのだ。
当時の中国では単に首を切って生け贄にしたのではなく、脳が露出するように頭蓋骨を切断していたという説もある。
脳を露出させた人間の頭部は耳杯の造形と一致する。
この説によれば、生きた人間を生け贄にする習慣が廃れた漢代の中国では、人の頭部の代わりとして耳杯が作られていたことになるのだ。
漢代の耳杯も祭祀に用いる器であったと考えられているから、この説の信憑性はかなり高いと言ってよいだろう。
密教の呪器としての人頭碗
頭蓋骨を用いて作る容器はチベットでも使われていた。
その祭器を人頭碗または托巴、嘎巴拉碗[gā bā lā wǎn]などという。嘎巴拉は人骨製品全般を意味するチベットの俗称である。
甘粛省博物館に収蔵されている人頭碗は有名であるが、実は多くの人頭碗が現在でも流通している。
かつてのチベットでは人頭碗は灌頂(かんじょう)の儀式に必須の法器だったそうだ。
灌頂とは密教修行者としてのステージをステップアップさせる秘儀である。
その儀式に使われる法器は神聖なものでなければならない。従ってチベット密教で用いられる人頭碗は、徳の高い僧侶の頭蓋骨から作られたものでなければならないのだ。
破瓦孔
人頭碗には破瓦孔[pò wǎ kǒng]と呼ばれる穴が開いていることがある。
破瓦はオウム真理教事件で有名になった「ポア」を意味するPhowaの漢訳である。
破瓦孔は生前にチベット密教の秘術である破瓦法により開頂成功した人の頭蓋骨に開く穴なのだ。
破瓦孔は比較的容易に開くという。
従って破瓦孔の存在は、密教修行の過程のひとつを通過したことを示すに過ぎない。
ただし敬虔な信者でなければ開かないのだから、破瓦孔がある人頭碗にはそれなりの霊力が具わると考えてよいだろう。
宙眼
人頭碗にはごくごく稀に破瓦孔よりも大きな穴が開いていることがある。この穴は人工的に開けた穴ではない。生前の頭蓋骨にもともと開いていた穴だ。
実は天界と交信できるようになった僧侶の頭蓋骨には穴が開いているのだ。
このような穴を「宙眼」という。
宙眼は先天的なものではない。厳しい修業により、厚い頭蓋骨に穴が開くと言われている。
この穴を通して魂が自由に出入りできるようになり、生きながらにして「あの世」と「この世」を往復できるようになるのだ。
宙眼と破瓦孔は異なる。宙眼は破瓦孔よりもはるかに高いレベルの境地を示す証拠なのだ。
言うまでもなくこのレベルに達する僧侶は非常に少ない。従って宙眼がある人頭碗は特に貴重なのである。
宙眼のある人頭碗は単に稀少なだけではなく、強烈な呪力を秘めていると信じられている。
この種の人頭碗を用いた灌頂を受けると、時空を超越した認識能力を得ることができると言われている。
つまり自分自身の魂を過去や未来に飛ばすことができるようになるのだ。
宙眼のある人頭碗はチベットの至宝である。ただしその存在は秘匿され、通常人には見ることも触ることも許されていない。