白銀区の噂
甘粛省の省都である蘭州の北に白銀市がある。
白銀市の中心地である白銀区は、周辺の村の住民からすると、出稼ぎに出る候補地のひとつ含まれる繁華な街だ。
この白銀区で1988年ころから不気味な噂が囁かれるようになっていた。
白銀市には赤い服を着た若い女性を狙う殺人狂がいる。
その殺人狂は赤い服を着た女性に目を付けると、何日も何週間も密かに女性を付け回し、犯行の機会を狙う。
準備に時間をかけるのは、女性の自宅に侵入して殺害するためだ。
周囲に人がいない時間はいつか、女性が帰宅するのはいつか、シャワーを浴びる時間は何時か。こうしたことを調べ上げて、犯行の時間を決めるのである。
殺人狂は夜が来ると女性の自宅に侵入する。そして女性を強姦してから殺害するのだ。
しかし抵抗されそうな場合には先に殺してから屍姦することもあるという。
しかも殺人狂は女性の死体から体の一部を切り取り持ち去るというのだ。
被害に遭った女性は10人を下らない。
この噂は単なる噂のレベルを超えていた。社会不安を醸成するレベルにまで影響力を拡大していたのだ。
白銀区の女性は昼間ですら独り歩きを避け、若い女性の通勤通学には家族が同行する状況になっていた。
噂の真相
あくまでも噂であった殺人狂の話は、ある日突然、事実として公認された。
白銀市の公安局は連続強姦殺人事件の発生を公表し、犯人に20万元の懸賞金をかけたのである。
噂は一部に不正確な点があったものの、おおむね実情を反映していた。
噂では犯人は夜中に自宅に侵入すると言われていたが、実際には大部分の犯行は昼間に発生していた。
赤い服を着た女性が狙われるという噂は真実であり、殺害の前後に強姦するという噂も真実であった。さらに殺害した遺体の一部を切り取り持ち去るという噂も真実だったのだ。
明らかにされた被害者について振り返ってみよう。
連続殺人事件
最初の事件は1988年5月に発生した。被害者は白銀区に住む23歳のOLである。
遺体の損傷は尋常ではなかった。首の肉が切り取られ、全身に合計26か所の切り傷が残されていたのだ。
後に犯人が逮捕されてから明らかになるのだが、この最初の事件は強姦を目的とした犯行ではなかった。
犯人が窃盗の目的で被害者宅に忍び込んだところ、被害者が帰宅してしまったため、被害に遭ってしまったのだ。
次の事件は1994年7月に発生した。被害者は白銀市の電力会社に勤める19歳の女性である。
この女性は会社の独身寮に住んでいたが、集合住宅であっても全く安心はできない。遺体の首が切り開かれ、全身には36か所の切り傷が残されていた。
1998年には多数の事件が起きている。
1月には白銀区に住む29歳の女性が殺害された。全身に16か所の切り傷があり、両耳と頭部の一部が切り取られていた。
同じ1月に、やはり白銀区に住む27歳の女性が殺されている。首に刺し傷があり、全身に8カ所の切り傷があった。さらに左側の乳頭と背中の肉の一部が切り取られていた。
7月には、この一連の事件の中でも最も残忍な事件が発生した。8歳の少女が自宅で殺害されたのである。裂傷を負った陰部からは犯人の精液が採取された。
11月には白銀区に住むOLが殺害されている(年齢は不詳)。首が切り裂かれ、上半身の22カ所に切り傷が残されていた。
さらに乳房と両手、陰部の肉が切り取られ、持ち去られていた。
2000年11月には白銀市内の繊維工場で働いていた28歳の女性が殺害された。首が切り裂かれ、両手が切り取られていた。
2001年5月には28歳の看護師が自宅で殺害された。首、その他の部位16カ所に刺し傷が残されていた。
2002年2月には白銀区内のホテルの一室で25歳の女性が殺害された。やはり首が切り裂かれていた。
14年のあいだに発生したこれらの事件は、指紋の照合やDNA鑑定により、全て同一人物の犯行であると断定されていた。
しかも犯人はこの14年のあいだに、内モンゴルの包頭(ボグト)という土地でも2件の犯行を行っていた。
犯人はほぼ例外なく刃物で死体を損壊している。特に首を切り裂くことに異様な執着があったようだ。この犯人にしか理解できない特殊な性衝動のなせるわざであろう。
難航する捜査
犯行現場には指紋や体液などの手掛かりが残されていた。
犯行現場が白銀区に集中していたため、公安は白銀区在住者を中心に大量の指紋照合を行った。しかし該当する人物は浮かび上がらなかった。
実は犯人は蘭州の西に位置する楡中県(ゆちゅうけん)の自宅から、犯行のたびに白銀区に出てきていたのだ。
白銀区の住人ではなかったため、捜査の網にかからなかったのである。
Y-DNA鑑定
捜査は完全に行き詰まっていた。しかし意外なことに、別の人物の犯行が事件の突破口になったのだ。
罪名は明らかにされていないが、何らかの事件によって、ある男が身柄を拘束された。
その後、DNA鑑定が行われたというから、この男も性犯罪で検挙されたのかもしれない。
DNA鑑定の結果、その男のDNAは連続強姦殺人犯のDNAと非常によく似ていることが明らかになった。
しかし再度確認のための検査を行ったところ、この男は連続強姦殺人犯ではないことが明らかになった。DNA配列がわずかでも違えば別人なのである。
だがこの検査は無駄ではなかった。DNAの部分的な一致率が高いことから、連続強姦殺人犯がこの男の血縁者である可能性が浮上したのである。
公安は直ちにこの男の親類の血液サンプルを集めた。
するとGという男のDNAが連続強姦殺人犯のDNAと完全一致したのである。
死刑判決
2016年8月。公安はGの身柄を拘束し、この証拠を突き付けて尋問した。
するとGは自分の犯罪を自供したのである。
Gは2017年4月に起訴され、2018年3月に死刑判決が下っている。
日本の常識は中国では通用しない。
死刑判決の翌日にGは看守所の中でマスコミのインタビューに応じている。中国ではこういう取材が許されているのだ。
最初の犯行の動機は、カネを手に入れるためだったそうだ。当時のGは食うものにも困るほど困窮していたらしい。
ところが被害者が帰宅して大声を上げたので殺害したというのだ。
Gは当初はすぐに捕まると考えていた。しかしいつまでも捕まらないので意外に思っていたという。
人を殺し、どうせすぐに捕まると考えていたせいで、Gはやりたい放題に犯行を行ったようだ。
被害者の遺体を切り刻んだのは性的刺激を得るためであった。公安がこの事件を「性変態殺人案件」と呼んだのは間違いではない。
Gは血痕が目立たないように黒い服を着て犯行を行ったそうだ。犯行後は自宅に戻って自分で洗濯をしていたという。
Gが逮捕されるまで付近の住民だけでなく、Gの妻ですらGの犯行に気づいていなかった。
凶悪犯人の中には「やっぱりあいつか」という例も無くはないが、むしろ「まさかあの人が」というケースの方が多いようだ。