長春のシリアルキラー

消えた女性たち

これはまだ中国が経済発展を遂げる以前の話である。

1997年10月ころから、長春で次々に女性が消えていた。

その多くは「小姐」つまり売春婦であった。

同業の女性たちのあいだでは、何者かが売春婦を殺しているという噂が広がっていた。

その噂のとおり、ある男が女性ばかりを狙って殺害していたのだ。

その男は1999年に逮捕されるまでの2年間に19名の女性を殺害していた。

犯人像

犯人は窃盗や強姦など複数の前科をもつGという男であった。

Gには妻とふたりの子供がいたそうだ。

自分自身の店舗かどうかは資料が不足していて不明なのだが、Gは西郊路市場の中の小さな洋服店で働いていた。夜は警備も兼ねて店舗内で寝ていたようである。

公安の資料の中にはGのデータが保管されていたはずだ。

遺体発見現場の地理的情報などを突き合わせれば、もっと早く検挙することができたと考えられるが、殺人事件のような凶悪犯罪に対しても公安が常に本腰を入れて捜査するとは限らないのだ。

公安に限らず、当時の一般大衆の感覚も日本人の感性からは理解しがたい部分がある。この点については後に触れるとして、まず最初の殺人の状況を紹介しよう。

Gの犯罪

1997年10月中旬のことである。Gは長春の人民広場付近を徘徊していた。

しばらくすると30歳前後と思われる女性と目が合った。お互いに観察し合うことで、両者は自分が探している相手が来たことを確信した。

お互いに言葉を交わし、50元で交渉が成立した。後の資料でも50元で交渉が成立しているので、当時の長春では50元が相場であったと思われる。

この女性のイニシャルもGなのだが、それではわかりづらいのでAとしよう。

AはGを自宅に誘った。当時の売春は女性が客を自宅に連れ帰る方式で行われていたようだ。

しかしGはAの自宅ではなく長春郊外の浄月潭に行こうと言った。浄月潭は中国最大の人工林がある土地だ。

浄月潭

Aは「商売」であるからGの提案に従った。

ふたりはバスで浄月潭に行き、森林内で見つけたトンネルの中で性交した。

性交を終えてAが代金を要求すると、Gは30元しか所持していないと言い放った。

50元という約束であったから、Aは腹を立ててGを罵った。

このときGの凶暴性に火が付いたのだ。

GはAに襲い掛かり、首を絞めて殺害したのである。そしてAが所持していた5元を奪い、死体を放置して逃走した。

後にGは「2日間は発覚することが怖くて眠ることもできなかった」と言っている。

計画的な殺人ではなかったから、ふたりが一緒にいるところを多くの人に見られている。Gが犯人だと特定されても仕方がない状況だったのだ。

しかし公安はやってこなかった。人を殺してもバレない。Gはこのことに気づいてしまったのだ。

不気味な遺体処理

1998年4月下旬のことである。朝の7時ころに、Gが働く洋服店に女性がやってきた。

その女性は「1度寝る」代わりに洋服一着をくれと言った。そしてGの返事も聞かずに服を選び始めたのだ。

Gはこの態度に腹を立てた。凶暴な衝動にスイッチが入った。

Gは店にあった布製のベルトを持ち出し、女性の首を絞めて殺害してしまったのだ。

その死体を大きな袋に入れて上から布を被せ、出勤してきた他の店員の目をごまかした。

他の店員が帰宅してからGは我流の死体処理を始めた。

簡易型の電気コンロの上に中華鍋を置き、死体の肉を切り取って煮始めたのだ。

中国の路上では今でもこのようにして食事を作る光景がみられる。

しかし繁華街のど真ん中で死体を煮る神経は異常としか言いようがない。

しかも肉を煮たところで消滅するわけではない。結局Gは死体を5分割して、店からそう遠くない建物と建物の間に捨てたのだ。

店舗内の床には血痕が残っていた。店に戻ったGは深夜まで時間を費やしてその血痕を洗い流した。

驚くべきことに、この一件も発覚しなかった。

連続殺人

売春婦を殺害しても公安は本気で捜査をしない。

そのことに気づいたGは大胆になり、売春婦を殺して所持金やアクセサリーなどを奪うようになった。1日にふたりを殺害したこともあった。

現金以外の「戦利品」は売り飛ばしたり、友人にプレゼントするなどしている。

モトローラのBP機(ポケベル)を売却したときは430元を手に入れているから、所持金を奪うよりも大きな利益を手にすることができたようだ。

しかし19名を殺害して得られた総額は2000元を少し上回る程度であったというから、金銭目的の殺人とは言い難い。

Gは殺人のスリルを楽しむために殺人を繰り返していたという説もある。

殺人を繰り返しても発覚しないため、Gの警戒心は薄れてしまったようだ。

Gは売春婦の自宅で殺害を繰り返すようになった。

屋内で死体が発見されれば、さすがに公安も本気で動き出すはずだが、そうはならなかった。

当時の中国社会には売春婦を軽く見る風潮があったのだろう。それは日本人の想像が及ばないほど強固な偏見であったと思われる。

実際に次のようなケースもあった。

Gが殺害した売春婦の死体を部屋の所有者が発見したのだが、公安に通報せずに死体を遠方に運んで捨ててしまったのだ。

中国では同じ殺人事件でも「誰が」殺されたかによって、人々の感じ方が異なるのである。

日本では多くの人が当たり前に感じている「人の命は平等である」という観念は、実は当たり前ではないのだ。それが当たり前なのは、むしろ日本だけの特徴なのかもしれない。

検挙

1999年9月、GはSという女性を殺害し、その死体をトウモロコシ畑に遺棄した。

Sの人物像は明らかにされていないが、それ以前の被害者とは事情が異なるようだ。Sの家族は遺体発見の直後に公安に通報し、しかも犯人の手掛かりを提供している。

その手掛かりが何であったかは明かされていないが、大胆になっていたGは多くの証拠を残していたのだろう。

公安は家族からの情報をもとに捜査を行い、Gが犯人であることを突き止めている。

恐らく現在の中国で同じことをすれば、最初の犯行の直後に検挙されるだろう。

現在の中国ではSNSが一般化しているので、殺人のような凶悪事件には多くの関心が集まり、公安も手を抜くことができなくなっているからだ。

日本ではSNSが国家機関の行動に影響を与えるという実感がわかないが、中国では確実に大きな影響を与えていることがわかる。