女神像と結ばれた男

ピグマリオン・コンプレックス

人間の性癖には無限の多様性がある。

生身の人間ではなく人形や彫刻などを愛する人もいるようだ。そのような性癖をピグマリオン・コンプレックスと言う。

ピグマリオンはキプロス王の名である。この人物は宋の徽宗(きそう)のように芸術家肌の人物だったようだ。

ピグマリオンは自分で作った女性の彫刻に心を奪われていまい、恋の病で衰弱してしまったそうだ。

それを見かねた女神アフロディーテが彫刻に命を与え、ピグマリオンはその彫刻を妻にしたとされている。

この物語と同様に自分自身で作った人形や像に恋をする例は少なくない。

自分で作る人形や像には自分の理想が反映されるはずだから、このようなタイプのピグマリオン・コンプレックスが存在するのは当然のようにも思われる。

しかし恋の相手は自分が作成したものとは限らないのである。

曹孝廉

『鑑誡録』という古い書物に次のような話が記録されている。なお、この書物の日本語読みは「かんかいろく」である。

四川に曹孝廉(そうこうれん)という人物がいた。曹孝廉は科挙受験生であたっが、試験に合格せず世に出る機会を失っていた。

あるとき曹孝廉は気晴らしのために江県という土地を訪れた。

するとそこに神廟があり、中には三体の女神像が安置されていた。

そのうちの一体を目にしたとき、曹孝廉は完全に心を奪われてしまった。

常人には信じがたいことであるが、曹孝廉はその瞬間に、その女神以外とは生涯結婚しないと決心したのだ。

神廟の管理人に占わせると、曹孝廉と女神には良縁があると出た。

曹孝廉は決心の証として自分が身に着けていた高価な衣服を神廟に納めた。

それから以後の曹孝廉は、女神以外の物事に全く興味を示さなくなった。どんなに美しい女性が現れても、全く意に介さないようであった。

数年後、曹孝廉の夢の中に江県の神廟で見た女神が現れた。

その夢をきっかけにして曹孝廉の体は徐々に衰えはじめた。

曹孝廉は女神との婚姻が近づいてきたと考え、衣装を整えてその日を待った。

その後間もなくして曹孝廉は死亡したのである。

曹孝廉は冥界で女神と結ばれたのだ。

曹孝廉を知る者たちは、皆そのように考えたそうだ。

神像に宿る魂

自分自身が作り出した像に心を奪われるのは、自分で自分の理想に恋をする現象である。

しかし他人が作り出した像に没入する場合には別の理由がある。

その像に宿る霊的な「何か」が原因なのだ。

像に宿るのは精霊や神であることもあるが、悪鬼、悪霊であることもある。

このような霊的な像に対するピグマリオン・コンプレックスは、像に恋をする側に原因があるのではなく、像の側に人の心を呼び寄せる引力のようなものがあるのだ。

霊的な磁場を持つ像は通常は霊障の元凶となる。いわゆる心霊現象と呼ばれる不可解な事象を呼び込んだり、悪い運気を呼び寄せたりするのだ。

しかし曹孝廉のケースは特殊だ。

実は曹孝廉のケースは一種の冥婚であると考えられている。冥婚とは死者の婚姻を意味する。

現代中国では死者と死者の婚姻が多いが、一方が死者でもう一方が生きている人間というケースも冥婚に含まれる。

かつての中国では、特に婚約者が死亡した場合に、死者と生者の冥婚が盛んに行われていたことがある。

曹孝廉の話はこのケースに近い。

曹孝廉が恋をした神像には純粋な神ではなく、若くして死亡した女性の霊が宿っていた可能性が高いのだ。

しかもその女性の両親は、死んだ娘に対してしかるべき供養を怠っていたようだだ。

だから娘の霊は自分自身で冥界の伴侶を獲得したのである。

現代人は死後の世界や死後の婚姻を信じなくなっている。

しかし過去の記録を読めば、死後の人間の魂は霊的な世界に移動し、生きているときと似たような思念をもつこともあることが分かる。

魂は必ずしも悟り切った存在ではなく、伴侶を求めたり、恨みを抱いたりするする不完全な「何か」なのである。